全 情 報

ID番号 01141
事件名 退職金請求事件
いわゆる事件名 大鉄工業事件
争点
事案概要  サラ金からの多額の借金により破産宣告を受けた労働者の破産管財人が、右労働者の会社に対し退職金の支払を求めたところ、右退職金は右労働者が会社に対し負っていた住宅資金の借入金の返済債務と相殺したとして拒否されたのに対し、右退職金の支払を求める訴を提起した事例。(請求棄却)
参照法条 労働基準法24条1項,89条1項3号の2
体系項目 賃金(民事) / 賃金の支払い原則 / 通貨払
賃金(民事) / 賃金の支払い原則 / 直接払・口座振込・賃金債権の譲渡
賃金(民事) / 賃金の支払い原則 / 全額払・相殺
裁判年月日 1984年10月31日
裁判所名 大阪地
裁判形式 判決
事件番号 昭和59年 (ワ) 655 
裁判結果 棄却(確定)
出典 労働民例集35巻5号602頁/労働判例443号55頁/労経速報1208号3頁
審級関係
評釈論文 後藤清・労働判例445号4頁/山口浩一郎・労働経済判例速報1220号28頁
判決理由 〔賃金―賃金支払い原則―通貨払〕
 仮に小切手を交付したとしても、当該小切手が銀行の支払保証小切手である等、実質的に通貨で支払った場合と差異がないような特段の事情がない限り、労働基準法二四条一項本文の規定するいわゆる通貨払の原則に反し、小切手の交付による退職金の支払は無効というべきところ、右特段の事情の存在を認めるに足る証拠はないから、右小切手の交付による退職金支払は無効といわざるを得ない。
〔賃金―賃金の支払い原則―直接払・口座振込・賃金債権の譲渡〕
 ところで、労働者本人名義の預金口座に賃金(退職金も含む、以下同じ)が振込まれる場合、これが前記通貨払の原則に抵触せずに有効な賃金の支払となるためには、少なくとも、(一)預金口座への賃金振込みによる支払が労働者の意思に基づくこと、(二)労働者が指定する本人名義の預金口座に振込まれること、(三)振込まれた賃金の全額が、所定の賃金支払日に払出しうる状況にあることの各要件を満たすことが必要であると解される。
 (中 略)
 右認定の事実によれば、右A名義の預金口座は、被告会社が専ら退職金から住宅融資金の返済を確実に受ける便宜のためにAに指示して退職金の振込みだけを目的として被告会社の近辺の銀行に設置させたものであって、右A名義の預金口座は実質的には被告会社が指定した預金口座というべきであり、しかも、A名義の通帳、印鑑は被告会社が保管し、Aは自由に振込まれた退職金を引き出すことが困難な状況にあったというべきであり、そうとすると、本件銀行支払分の退職金のA名義預金口座への振込みによる支払は、これが有効な退職金の支払となるための前記(二)、(三)の各要件を満たしているものとはいい難く、したがって、本件振込みによる退職金の支払は、有効な支払とはいいえない。
〔賃金―賃金の支払い原則―全額払〕
 ところで、労働基準法二四条一項本文は、いわゆる賃金の全額払の原則を定めており、賃金の控除を禁止しているが、右原則の趣旨とするところは、使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もって労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活をおびやかすことのないようにしてその保護をはかろうとするものであるから、賃金債権と使用者が労働者に対して有する債権とを、労使間の合意によって相殺することは、それが労働者の完全な自由意思によるものであり、かつ、そう認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、全額払の原則によって禁止されるものではなく、有効と解するのが相当である。
 そこで、右のような観点から、既に認定の本件事実関係を検討するに、本件においては、前記2(三)ないし(五)のとおり、被告会社はAの同意を得て、Aの退職金債権と同人の被告会社に対し負担する住宅融資金借入金債務等と相殺(差引計算)したものというべきであるところ、右相殺された合計金額は、前記認定のとおり合計二一一万五二四一円で退職金合計三八二万四〇〇〇円の五分の三弱に及ぶものであるが、しかし、Aが相殺に供した金員は、退職金であって月々の生活を支える月給とは異なり、相殺に供したからといって、このことのみによって直ちにAの経済生活を脅かすものとはいえないこと、また、本件相殺に供された金員は、不法行為による損害賠償債務等労働者が一方的に負担する債務ではなく、住宅融資資金借入れ債務で、Aはこれをもとに不動産を購入し資産を得ているもので、使用者から現実に便宜を提供され、利益を受けた独立の信用上の貸借債務であり、しかも、Aは、労働協約に基づき右借入金を毎月の給料から一定額控除される形で弁済してきたが、退職に伴いこれができなくなるので、Aとしては右借入金の残債務を給料の控除による弁済以外の方法による弁済をする必要に迫られていたし、Aの被告会社に対する右借入金債務の存在及びその額については全く争いがなかったこと、被告会社においても、一般的に将来にわたって労働することを期待して労働者に経済上の便宜を供する趣旨で住宅融資資金の貸出制度を設けているものというべきであるから、Aが右債務の完済前に突然退職するに及んだため給料の一部控除による返済を受けることができなくなり、その残債務を他の方法で得べき合理的な必要性が存したことや、証人Aの証言などを併せ考えると、Aの右相殺に対する同意は、完全な自由意思によるものと認められ、かつそう認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在していたものと認めるのが相当である。
 したがって、右相殺は有効というべきであり、Aには、右相殺された二一一万五二四一円の退職金の支払請求権はないものというべきである。