全 情 報

ID番号 05106
事件名 遺族補償給付等不支給処分取消請求事件
いわゆる事件名 向島労基署長(渡辺工業)事件
争点
事案概要  冠状動脈硬化症および心肥大にかかっていた左官職労働者の急性心臓死につき業務上の死亡に当るか否かが争われた事例。
参照法条 労働基準法79条
労働者災害補償保険法7条1項
労働者災害補償保険法16条
体系項目 労災補償・労災保険 / 業務上・外認定 / 脳・心疾患等
労災補償・労災保険 / 業務上・外認定 / 業務起因性
裁判年月日 1987年9月10日
裁判所名 東京地
裁判形式 判決
事件番号 昭和54年 (行ウ) 78 
裁判結果 棄却
出典 労働判例504号40頁/労経速報1305号3頁
審級関係
評釈論文 西村健一郎・法学セミナー33巻5号139頁1988年5月
判決理由 〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-業務起因性〕
 労災保険法一二条の八第二項に援用される労働基準法七九条及び八〇条にいう「業務上死亡した場合」に当たるというためには、業務と死亡との間に相当因果関係のあることが必要であって、労働者が業務に起因しない基礎疾病を有し、それが原因となって死亡した場合にこの相当因果関係を肯定するには、業務に起因する過度の精神的、肉体的負担によって、労働者の基礎疾病が自然的経過を越えて急激に悪化し、死亡の結果を招いたと認められるのでなければならないというべきである。〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-脳・心疾患等〕
 Aは、冠状動脈粥状硬化症及び心肥大の基礎疾病を有し、かつ、これは軽微な動機でも容易に心臓死を起こし得る程度の重篤なものであったところ、本件作業中右心肥大に起因して急性心臓死したものである。
 ところで、Aが従事していた練り方作業は昭和四七年当時にはすでに機械化されて肉体的に格別重労働というべきものではなく、本件工場現場は、作業場所が狭いことから仕事が若干やりにくい面があったとはいうものの、特に労働を過重なものにしたというほどのことはなかった。また、Aは練り方の仕事に一四年以上の経験を有していたのであり、Aの勤務状況については、Aが本件作業に従事した昭和四七年六月三〇日以降死亡前日までの間をみると、七月二日が休日であったうえ、その余の日については早出、残業はなく、昼休みのほか午前、午後に各三〇分程度の休憩をとりながら勤務しており、作業日程上も予定どおり進行し順調であった。そうすると、Aの死亡前日までの勤務が同人に精神的、肉体的な疲労の蓄積をもたらしていたものとは認められない。さらに、死亡当日の勤務状況については、Aは午前七時三〇分ころ出勤して同八時ころからモルタル練り作業やモルタルの屋上への荷揚げ作業に従事し、これを死亡直前まで継続したのであるが、その練り作業の回数等に照らすと、右作業が繁忙を極めたとは考えられないうえ、右作業は午前中四時間弱行われたにすぎず、また、午前中に完了できる見込みであったことからすると、原告が主張するように塗り方の作業が均し塗りであったため練り方のAは通常より忙しく更に死亡前約二〇分の間に三階建の本件建物屋上への昇降及び四〇キログラムのセメント二袋を数メートルにわたり運搬する作業が加わったとしても、右の程度の作業量はAの経験を考慮すると同人を特に精神的、肉体的に疲労せしめるほど重激なものであったとは考えられない。そして、同人は死亡しているのが発見された三分程前に同僚と挨拶を交わした際においても元気そうに見受けられたことからもそのように推認される。Aの死亡当日の気象状況については、最高気温三〇度前後の暑い日ではあったが、前数日とほぼ同程度であったうえ、夏季としては通常のものであり、雲もあったうえ、本件作業場所は庇の陰となって直射日光が当たらず、若干風通しの悪いところがある程度であったことからすると、健康に格別の影響があるようなものであったとは考えられず、そうすると当日の気象はAの健康に格別の悪影響を与えたものとは認められない。そして、他には、Aに業務に起因する過度の精神的、肉体的負担があったものと認めるに足りる具体的事実はない。
 このような事実からすると、Aは基礎疾病である冠状動脈粥状硬化症による心肥大の自然増悪が限界に達して急性心臓死したものであると認めるのが相当であり、Aの急性心臓死を業務に起因すると認めるには不十分といわざるを得ない。
 三 健康診断義務違反の主張について原告は、B工業はAに対し、その雇入れに際して健康診断を行う義務があったのにこれを怠り、その結果、Aの基礎疾病を発見できず本件作業に従事せしめたためAの死亡を回避することができなかったのであるから、Aの死亡はB工業の健康管理義務の懈怠により発生したものであり、このようなAの死亡は業務上死亡した場合に当たるというべきであると主張する。
 しかし、Aの死亡が労災保険法による災害補償の対象となる「業務上の災害」に当たるか否かは、前述のとおり、死亡と業務との間に相当因果関係(死亡の業務起因性)があるか否かによってのみ判断されるのであって、その業務に従事するに至ったことについて事業主に健康管理義務違反があったか否かは、その判断を左右する要素とはならない(労災保険法上の業務災害の成否は、業務と災害との関係のみによって判断され、事業主の過失の立証を要しない。この過失責任主義からの解放は、労災補償制度の基本的性格の一つである。)というべきであるから、原告の主張は採用しない。