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ID番号 05497
事件名 退職金等請求事件/同請求参加事件
いわゆる事件名 日新製鋼事件
争点
事案概要  使用者が労働者の同意を得て労働者の退職金債権に対してする相殺は、この同意が労働者の自由な意思に基づいてなされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、労働基準法二四条一項本文の原額払いの原則に違反しないとし、本件では労働者の自由な意思が認められるとされた事例。
参照法条 労働基準法24条1項
民法505条
体系項目 賃金(民事) / 賃金の支払い原則 / 全額払・相殺
裁判年月日 1990年11月26日
裁判所名 最高二小
裁判形式 判決
事件番号 昭和63年 (オ) 4 
裁判結果 上告棄却
出典 民集44巻8号1085頁/時報1392号149頁/タイムズ765号169頁/裁判所時報1040号1頁/労働判例584号6頁/金融商事872号33頁/労経速報1434号3頁
審級関係 控訴審/03097/大阪高/昭62. 9.29/昭和61年(ネ)798号
評釈論文 遠藤隆久・日本労働法学会誌78号121~128頁1991年10月/塩崎勤・旬刊金融法務事情1333号33~42頁1992年9月25日/吉田美喜夫・労働判例百選<第7版>〔別冊ジュリスト165〕92~93頁/高橋利文・ジュリスト988号89~92頁1991年10月15日/高橋利文・法曹時報43巻10号153~186頁1991年10月/佐藤鉄男・倒産判例百選<第3版>〔別冊ジュリスト163〕80~81頁2002年9月/四宮章夫・民商法雑誌105巻2号220~233頁1991年11月/松山恒昭・平成3年度主要民
判決理由 〔賃金-賃金の支払い原則-全額払〕
 労働基準法(昭和六二年法律第九九号による改正前のもの。以下同じ。)二四条一項本文の定めるいわゆる賃金全額払の原則の趣旨とするところは、使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もって労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活を脅かすことのないようにしてその保護を図ろうとするものというべきであるから、使用者が労働者に対して有する債権をもって労働者の賃金債権と相殺することを禁止する趣旨をも包含するものであるが、労働者がその自由な意思に基づき右相殺に同意した場合においては、右同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、右同意を得てした相殺は右規定に違反するものとはいえないものと解するのが相当である(最高裁昭和四四年(オ)第一〇七三号同四八年一月一九日第二小法廷判決・民集二七巻一号二七頁参照)。もっとも、右全額払の原則の趣旨にかんがみると、右同意が労働者の自由な意思に基づくものであるとの認定判断は、厳格かつ慎重に行われなければならないことはいうまでもないところである。
 本件についてこれをみるに、原審の確定するところによれば、(1) 被上告人Y1(以下「被上告人Y1」という。)は、被上告人Y2株式社会(以下「被上告会社」という。)に在職中、昭和五六年七月二〇日、被上告会社の住宅財形融資規程に則り、元利均等分割償還、退職した場合には残金一括償還の約定で、被上告会社から八七万円を、A銀行から二六三万円を、それぞれ借り入れ(以下、被上告会社からの右借入金を「被上告会社借入金」といい、A銀行からの右借入金を「A借入金」という。)、また、昭和五八年四月二六日、同人の所属するY2労働組合(以下「組合」という。)の労働金庫運営規程阪神支部内規(以下「内規」という。)に則り、右と同様の約定で、兵庫労働金庫から二〇〇万円を借り入れた(以下「労金借入金」という。)、
 〔中略〕
 (5) また、労金借入金の返済については、被上告会社と組合との間で締結された労働協約、前記内規及び被上告人Y1と兵庫労働金庫との間の金円借用証書の定めに基づき、被上告会社が被上告人Y1の委任により同人の毎月の給与から所定の元利均等分割返済額を控除したうえ、右控除額を組合に交付し、これを組合が兵庫労働金庫に支払うという方法で処理することとされ、右内規には、労働金庫より融資を受けた者が退職等で資格を喪失したときは退職金等を優先的弁済に充てる旨の定めが、右金円借用証書には、被上告人Y1が兵庫労働金庫の会員の構成員の資格を喪失したときには期限の利益を失い、直ちに債務を返済する旨の定めがあり、被上告人Y1はこれらを承認し、同人が退職するときには、被上告会社に対し退職金等により労金借入金の残債務全額に相当する金員を直ちに組合に交付して支払うことを、組合に対し被上告会社から受領した右金員を兵庫労働金庫に支払うことを、各委任した、
 〔中略〕
 (7) 被上告会社においては、このような場合、従来からの労使間の協議により、被上告会社が退職する従業員から退職金、給与等より右各借入金の一括返済額を控除して被上告会社及び融資機関に対する返済に充てることの同意を個別的に得るとともに、その返済手続を被上告会社に一任させる取扱いが慣行的に実施されてきていたことから、被上告会社は、本件も右取扱いに従って処理することとし、昭和五八年九月一四日、同月一五日を退職希望日とする被上告人Y1からの退職願を受理するとともに、同人が右各借入金についての前記各約定の趣旨を確認し、これに従い自己の退職金等をもって被上告会社が右各借入金を一括返済するための手続を行うことに同意する趣旨で作成した「今般私儀退職に伴い会社債務(住宅融資ローン残高)及び労働金庫債務の弁済の為、退職金、給与等の自己債権一切を会社に一任することに異存ありません」との文面の委任状(以下「本件委任状」という。)の提出を受けた、(8) そこで、被上告会社は、被上告人Y1の退職日を昭和五八年九月一五日としたうえ、同月二〇日(八月分給与支給日)退職金三九二万一二二二円及び八月分給与二二万八三一一円を計上し、同日これらから被上告会社借入金の一括返済額六九万六七九一円を控除するとともに、A借入金の一括返済額二二九万五一三四円を控除したうえ、右控除額をA銀行の被上告会社名義の口座に振り込んで支払い、同月二二日には、労金借入金の一括返済額のうち、一一五万七六〇八円を控除したうえ、これに被上告人Y1の共済会脱会餞別金四万円及び九月分給与の一部九万九五四六円を加えて、合計一二九万七一五四円を組合に交付し、組合がこれを兵庫労働金庫に支払う等の、各清算処理を行った、
 〔中略〕
 原審は、右事実関係に基づき、右各清算処理につき、被上告会社が、前記各約定に基づき被上告人Y1の退職により同人に対して有するに至った被上告会社借入金の一括返済請求権及びA借入金と労金借入金について被上告会社がその残債務の一括返済の委任を受けたことに基づく返済費用前払請求権(民法六四九条)と、被上告人Y1の有する退職金及び給与等の支払請求権とを、被上告人Y1の同意のもとに対当額で相殺した(以下、右相殺を「本件相殺」という。)ものであると判断しているのであって、右認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として首肯することができ、その過程に所論の違法はない。
 右事実関係によれば、被上告人Y1は、被上告会社の担当者に対し右各借入金の残債務を退職金等で返済する手続を執ってくれるように自発的に依頼しており、本件委任状の作成、提出の過程においても強要にわたるような事情は全くうかがえず、右各清算処理手続が終了した後においても被上告会社の担当者の求めに異議なく応じ、退職金計算書、給与等の領収書に署名押印をしているのであり、また、本件各借入金は、いずれも、借入れの際には抵当権の設定はされず、低利かつ相当長期の分割弁済の約定のもとに被上告人Y1が住宅資金として借り入れたものであり、特に、被上告会社借入金及びA借入金については、従業員の福利厚生の観点から利子の一部を被上告会社が負担する等の措置が執られるなど、被上告人Y1の利益になっており、同人においても、右各借入金の性質及び退職するときには退職金等によりその残債務を一括返済する旨の前記各約定を十分認識していたことがうかがえるのであって、右の諸点に照らすと、本件相殺における被上告人Y1の同意は、同人の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在していたものというべきである。
 してみると、右事実関係の下において、本件相殺が労働基準法二四条一項本文に違反するものではないとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はないものというべきである。論旨は、採用することができない。