全 情 報

ID番号 06722
事件名 損害賠償請求事件
いわゆる事件名 日鉄鉱業(伊王島鉱業所)じん肺事件
争点
事案概要  炭鉱の粉じん作業に従事してきた労働者がじん肺に罹ったことにつき、使用者の雇用契約上の安全配慮義務違反を理由とする損害賠償を請求した事例。
参照法条 民法415条
体系項目 労働契約(民事) / 労働契約上の権利義務 / 安全配慮(保護)義務・使用者の責任
労災補償・労災保険 / 損害賠償等との関係 / 労災保険と損害賠償
裁判年月日 1994年12月13日
裁判所名 長崎地
裁判形式 判決
事件番号 昭和60年 (ワ) 580 
昭和60年 (ワ) 581 
昭和61年 (ワ) 247 
裁判結果 認容,一部棄却
出典 時報1527号21頁/タイムズ867号60頁/労働判例673号27頁
審級関係
評釈論文 飯塚和之・判例タイムズ878号45~54頁1995年8月1日
判決理由 〔労働契約-労働契約上の権利義務-安全配慮(保護)義務・使用者の責任〕
 2(一) 使用者の負う安全配慮義務の具体的内容、程度は、労働者を就労させる作業環境・作業内容、それによる疾病等の危険発生に対する社会的認識、右危険発生を回避するための手段の存否及び内容等によって規定されるところ、本件は、原告らが、被告に対し、原告ら元従業員が、被告会社において粉じん作業に従事したことにより、じん肺に罹患したとして、安全配慮義務違反に基づく損害賠償を求める事案であるから、その具体的内容、程度は、原告ら元従業員が従事した粉じん作業の内容、その作業環境、じん肺に関する医学的知見、じん肺防止に関する工学技術水準及び行政法令等を総合考慮することにより確定されることになる。
 このように具体的に規定された安全配慮義務を使用者が完全に履行している場合には、たとえ労働者の生命又は健康等に損害が発生したとしても、使用者に安全配慮義務違反があるとはいえず、被告会社のもとでの稼働により原告ら元従業員がじん肺に罹患したことが認められれば、被告会社の右義務不履行が認められる(すなわち、安全配慮義務は「結果債務」である。)との原告らの主張は採用することができない。〔中略〕
 鉱山保安法、炭則等の行政法令の定める労働者の安全確保に関する使用者の義務は、使用者が労働者に対する関係で当然に負担すべき安全配慮義務のうち、労働災害の発生を防止する見地から、特に重要な部分にしてかつ最低の基準を公権力をもって強制するために明文化したものにすぎないから、右行政法令等の定める基準を遵守したからといって、信義則上認められる安全配慮義務を尽くしたものということはできない。
 そして、このことからすれば、金属鉱山に対する行政法令と炭鉱に対するそれとの差異(金属鉱山に対する行政規制のほうが、より厳格であり、炭鉱においては規制がない事項もあったこと)や、旧じん肺法までは、もっぱら遊離けい酸が規制対象とされていたことを理由として、安全配慮義務を免れることはできない。〔中略〕
 (一) 以上で認定した事実によると、被告会社は、昭和一五年から炭鉱でけい肺ないしじん肺が発生するとの認識を有するに至った同二五年ころまでは、防爆(ママ)対策等として一部で行っていた散水、通気の確保以外には、ほとんど本件安全配慮義務を履行していなかった。
 そして、同二五年以降については、法規の定めるところに応じて、一応の対策は行われたけれども、散水、通気については、従来、防爆対策等として行ってきたものを特段改善することもなく(被告従業員であった証人らの各証言中、対策を強化したという部分は、その具体的内容が必ずしも明らかでなく、信用できない。)、これは、本件各炭鉱におけるじん肺罹患者の増加という事実を受けても変化することがなかった。防じんマスクの支給やさく岩機の湿式化等その他の義務の履行についても、実施時期が遅滞したり、対策が十分徹底されなかったことにより、不十分なものにとどまったといわざるを得ない。〔中略〕
 時を異にし、複数の粉じん作業使用者のもとにおいて、粉じん吸入のおそれのある複数の職場で労働に従事した結果じん肺に罹患した労働者が、右複数の使用者の一部又は全部に対して、その雇用契約に基づく安全配慮義務違反を理由に損害賠償を求める場合には、右複数の職場のうちいずれの職場における粉じん吸入によっても、現に罹患したじん肺になり得ることが認められる限り、同項後段を類推適用し、労働者のじん肺罹患と右複数の使用者の右各義務違反の債務不履行との間の因果関係が推定されるものというべきであり、じん肺に罹患した労働者としては、そのじん肺罹患と一部の使用者の同債務不履行のみとの間の因果関係を立証することができなくても、複数の使用者の各債務不履行が現に罹患したじん肺をもたらし得るような危険性を有し、右じん肺の原因となった可能性があることを主張、立証することができれば、各使用者らの債務不履行との間の因果関係が推定されるものというべく、使用者において、自らの債務不履行と労働者のじん肺罹患との間の一部又は全部に因果関係がないことを主張、立証することができない限り、使用者はその責任の一部又は全部を免れることができないというべきである。〔中略〕
 当該粉じん職歴の内容、就労期間の長さ、当該使用者の安全配慮義務違反の態様等からして、当該原告ら元従業員が現に罹患しているじん肺をもたらし得る危険性を有するものと認められる場合でも、被告が、原告ら元従業員のじん肺罹患による損害を賠償する責任の一部又は全部を免れるには、被告において、自らの債務不履行と当該原告ら元従業員のじん肺罹患との間の一部又は全部に因果関係がないことを主張、立証することを要することになる。
 (一) 雇用契約の付随義務としての安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効期間は、民法一六七条一項により一〇年と解され右一〇年の消滅時効は、同法一六六条一項により、右損害賠償請求権を行使し得る時から進行するものと解される。そして、一般に、安全配慮義務違反による損害賠償請求権は、その損害が発生した時に成立し、同時にその権利を行使することが法律上可能となるというべきところ、じん肺に罹患した事実は、その旨の行政上の決定がなければ通常認め難いから、本件においては、じん肺の所見がある旨の最初の行政上の決定を受けた時に少なくとも損害の一端が発生したものということができる。
 しかし、このことから、じん肺に罹患した患者の病状が進行し、より重い行政上の決定を受けた場合においても、重い決定に相当する病状に基づく損害を含む全損害が、最初の行政上の決定を受けた時点で発生していたものとみることはできない。
〔労災補償・労災保険-損害賠償等との関係-労災保険と損害賠償〕
 保険給付と損害賠償とが「同一の事由」の関係にあるとは、保険給付の趣旨目的と民事上の損害賠償のそれとが一致すること、すなわち、保険給付の対象となる損害と民事上の損害賠償とが同性質であり、保険給付と損害賠償とが相互補完性を有する関係にある場合をいうものと解するのが相当であって、単に同一の事故から生じた損害であることをいうものではない。そして、前示の同一の事由の関係にあることを肯定することができるのは、民事上の損害賠償の対象となる損害のうち、労災保険法による休業補償給付、傷病補償年金、遺族補償年金が対象とする損害と同性質である財産的(物質的)損害のうちの消極損害(いわゆる逸失利益)のみであって、財産的損害のうちの積極損害及び精神的損害(慰謝料)は右の保険給付が対象とする損害とは同性質とはいえないものということができる。〔中略〕
 本件において原告らが賠償を請求する損害は、前記三4で説示したとおり、精神的損害(慰謝料)であると解されるから、原告ら元従業員又は遺族原告が既に受領した又は将来受領する前記労災保険給付を右損害から控除することは許されない。