全 情 報

ID番号 06788
事件名 行政処分取消請求事件
いわゆる事件名 広島中央労働基準監督署長事件
争点
事案概要  じん肺として管理区分三とする決定を受けて治療に当たっていた者が、肺がんによる呼吸不全のため死亡した後、妻が、右死亡を業務に起因するものであるとして労基署長の不支給処分を争った事例。
参照法条 労働者災害補償保険法7条
労働者災害補償保険法8条12項
労働基準法施行規則別表1の2第5号
じん肺法2条
体系項目 労災補償・労災保険 / 業務上・外認定 / 業務起因性
労災補償・労災保険 / 業務上・外認定 / 職業性の疾病
裁判年月日 1996年3月26日
裁判所名 広島地
裁判形式 判決
事件番号 平成1年 (行ウ) 17 
裁判結果 認容
出典 時報1585号123頁/タイムズ929号187頁/訟務月報43巻4号1168頁/労働判例710号63頁
審級関係
評釈論文 野田進・判例評論461〔判例時報1600〕218~222頁1997年7月1日
判決理由 〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-業務起因性〕
 遺族補償給付及び葬祭料の支給は、労働者が業務上死亡した場合に遺族又は葬祭を行う者の請求に基づいて行うこととされている〔中略〕ところ、労働者が業務上の疾病に起因して死亡したときは、右にいう「労働者が業務上死亡した場合」に該当するものと解されている。そして、業務上の疾病の範囲は、命令で定めるものとされ(労災保険法一二条の八第一項、二項及び労働基準法七五条)、これを受けた労働基準法施行規則三五条、別表第一の二において、具体的に定められている。これによると、療養を要するじん肺及び前記各合併症は業務上の疾病であるとされている(同表五号)が、じん肺に合併した肺がんは、少なくとも明示的には業務上の疾病であるとはされていない。
 しかしながら、労災補償行政上、じん肺に合併した肺がんが業務上の疾病であるとされる場合がある〈証拠略〉。すなわち、労働省労働基準局長から各都道府県労働基準局長に対して発せられた「じん肺症患者に発生した肺がんの補償上の取扱いについて」と題する昭和五三年一一月二日付けの通達(以下「局長通達」という。)によると、じん肺法によるじん肺管理区分が管理四と決定された者であって、現に療養中の者(以下「管理四で療養中の者」という。)に発生した原発性の肺がんについては、労働基準法施行規則別表第一の二第九号に該当する業務上の疾病として取り扱うこととされている。また、局長通達によると、現に決定を受けているじん肺管理区分が管理四でない場合又はじん肺管理区分の決定が行われていない場合において、当該労働者が死亡し、又は重篤な疾病にかかっている等のためじん肺法一五条一項の規定に基づく随時申請を行うことが不可能又は困難であると認められるときは、地方じん肺診査医に対しじん肺の進展度及び病態に関する総合的な判断を求め、その結果に基づきじん肺管理区分が管理四相当と認められる者(以下「管理四相当であると認められる者」という。)についても、これに合併した原発性の肺がんを右と同様に取り扱って差し支えないものとされている。
〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-職業性の疾病〕
 訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りると解するのが相当である〔中略〕。
 したがって、Aのじん肺と肺がん発生との間の因果関係が認められるためには、じん肺が肺がんを発生させる病理学的な機序を明らかにする必要まではないが、通常人がAの肺がんがじん肺に起因して発生したことを確信し得る程度の立証がなされる必要があり、単にAの肺がんがじん肺に起因して発生した可能性があるという程度では足りないというべきである。
〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-業務起因性〕
 Aの肺がんの発生原因が同人の喫煙習慣にあった可能性は否定できない。そこで検討するに疫学とは、人間集団を対象として人間の健康及びその異常の原因を宿主、病因、環境の各面から包括的に考究し、その増進と予防を図る学問であって、元来個々人の疾病の原因を究明するためのものではないから、疫学的にみて因果関係があるとしても当然には個々人の疾病の原因が明らかになるものではないのみならず、疫学的にみても現時点ではじん肺と肺がん発生との間に因果関係があるとまでは認められないこと、Aの肺がんの組織型及び原発部位もじん肺との因果関係を基礎付けるものではないこと、Aの肺がんの発生原因が同人の喫煙の習慣にあった可能性も否定できないことからすると、Aの肺がんがじん肺に起因して発生した可能性はあると認められるが、本件においてAの肺がんがじん肺に起因して発生したことについて、通常人が確信し得る程度に立証がなされているとはいえない。
〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-職業性の疾病〕
 進展したじん肺症に合併した肺がんには医療実践上の不利益があることに鑑みれば、このような不利益がなければ、肺がんがより早期に発見され、適切な治療を施されて良好な経過をたどった可能性があるということができるから、進展したじん肺症に合併した肺がんについて具体的に右のような医療実践上の不利益が認められる場合には、右のような意味あいにおいて、右肺がんの病状の持続ないし憎悪とじん肺との間には因果関係があると認めるのが相当であり、したがって、右肺がんは、労働基準法施行規則別表第一の二第九号(その他業務に起因することの明らかな疾病)に該当する業務上の疾病であると認めるのが相当である。
 翻って、局長通達による前記取扱いについてみても、ある疾病について、業務との因果関係が認められないにもかかわらず、一片の行政通達によって業務上の疾病であるとの取扱いをし、労災保険法に基づく保険給付をすることは、法解釈の域を超えることとなり、およそ不可能であるから、右取扱いは、決して、行政の裁量によって一部のじん肺患者のじん肺と肺がん発生との間の因果関係を擬制してなされているものではなく、進展したじん肺症に合併した肺がんに存する医療実践上の不利益に着目し、右に述べたような意味において、進展したじん肺症に合併した肺がんの病状の持続ないし憎悪とじん肺との間には因果関係があることを認めてなされているものと理解することができる。しかも、わが国ではじん肺症に肺がんが合併する頻度が一般人口における場合よりも高いことをも考慮すれば、右のような因果関係を認めてなされている局長通達による取扱いは、「労働者の福祉の増進に寄与することを目的とする」(労災保険法一条)法の趣旨にもかなうものであるということができる。
 なお、局長通達は、管理四で療養中の者及び管理四相当であると認められる者に発生した原発性の肺がんだけを業務上の疾病として取り扱うものとしているが、じん肺管理区分は、本来粉じん作業に従事する労働者等の健康管理を行うためのものであるのみならず、管理四と管理三ロとの限界は実際上明確を欠くこともあり得る(Aの場合がまさにそうである。)ことからすると、局長通達の右管理区分に係る要件を充足しない場合であっても、じん肺に合併した肺がんであって前記のような医療実践上の不利益があるものについては、業務上の疾病であることを否定すべき根拠は何ら存在しないというべきである。
 これを本件についてみるに、前認定のとおり、Aの肺がんは、同人の肺のエックス線写真の像にじん肺による粒状影が極めて多数あったために早期発見ができなかったこと、諸検査の結果及び臨床症状からして、じん肺と相まって著しい肺機能障害を惹起していたと認められること及びその肺機能障害の程度が強かったこともあって手術による治療を見合わせざるを得なかったことからすると、専門家会議が指摘した前記のような医療実践上の不利益を有するものであったことは明らかであるから、これを業務上の疾病と認めるのが相当である。