全 情 報

ID番号 07568
事件名 雇用関係存在確認等請求事件
いわゆる事件名 T工業(HIV)解雇事件
争点
事案概要  日本での在留資格を有する日系ブラジル人で期間を一年とする雇用契約の下で工場に勤務していた労働者X(既に退職)が、会社の定期健康診断(年二回)を受けた際に、会社は従前からの取扱いと同様に、新採用のブラジル人従業員に限り、本人に知らせず、その同意も得ることなく、Y経営の病院に依頼してHIV抗体検査を行い、病院から交付された検査結果からXが陽性であることが判明したため、Xになぜ事実を最初から言わなかったかを責め、ブラジルに帰国することを勧め、Xの「クビか?」の質問を肯定し、Xが新聞、領事館等に行く旨の発言によりいったん右発言等を撤回したものの、その約二〇日後、不景気等を理由に解雇する旨を告げ、Xはそれ以降欠勤せざるをえなかったため、会社に対しては、(1)HIV検査を無断で医療機関に依頼し、検査結果表を受け取り、感染を理由とする解雇について不法行為責任に基づく慰謝料賠償を、(2)HIV感染を理由に不当解雇され、違法な更新拒絶であるとして、雇用契約上の地位確認及び賃金支払を、Yに対しては、(3)無断でのHIV抗体検査の実施及び会社への結果表交付行為について不法行為責任に基づく慰謝料請求をしたケースで、(1)については、会社の検査に関する一連の行為はプライバシーの侵害に当たり違法、また解雇も正当な理由を欠くもので解雇権の濫用として無効であるとして請求が一部認容され、(2)については雇用期間満了によって当然に雇用契約は終了するが、期間満了までの会社による不当な解雇によって就労しえなかった期間については賃金請求が認容され、(3)については、秘密保持義務等に違反し、プライバシーの侵害する違法な行為であるとして請求が一部認容された事例。
参照法条 労働基準法89条1項3号
労働基準法2章
民法709条
民法1条3項
労働基準法14条
体系項目 解雇(民事) / 解雇事由 / 病気
労働契約(民事) / 労働契約上の権利義務 / 使用者に対する労災以外の損害賠償
解雇(民事) / 解雇権の濫用
解雇(民事) / 短期労働契約の更新拒否(雇止め)
裁判年月日 2000年6月12日
裁判所名 千葉地
裁判形式 判決
事件番号 平成9年 (ワ) 2550 
裁判結果 一部認容,一部棄却(確定)
出典 労働判例785号10頁
審級関係
評釈論文 ・労政時報3461号67~71頁2000年9月29日/小畑史子・労働基準53巻5号24~28頁2001年5月/保原喜志夫・月刊ろうさい52巻1号4~7頁2001年1月
判決理由 〔解雇-解雇事由-病気〕
 原告の健康状態に関しても、原告の平成九年一〇月二二日から二八日までの入院については、肺炎による旨の診断書が提出されており、(〈証拠略〉)、同年一二月六日から一四日までの欠勤についても、事故により受傷した旨の診断書が提出されているのであるから(〈証拠略〉)、それ以上にその健康状態を疑う理由はなく、ましてHIV感染の有無について検査をする必要性があったものとは到底認められない。
 このように、被告会社によるブラジル人従業員に対するHIV抗体検査の実施について、格別合理的な理由が認められず、しかもそれが当該従業員本人に秘して行われてきたことや、陽性の結果が出た場合の就労を前提とした対応策について何ら検討がなされていないことなどからすれば、被告会社では、ブラジル人にはHIV感染者の比率が高いといった認識のもとに(証人A)、新規に雇用したブラジル人従業員についてのみ検査を実施して、陽性であった場合にはこれを会社から事実上排除しようとする意図の下にHIV抗体検査を行っていたものと推認できるのである。〔中略〕
〔解雇-解雇事由-病気〕
 右の事実によれば、被告会社は、従前から続けてきたのと同様に、日系ブラジル人で新規に雇用した原告につき、定期健康診断として本人に秘したままHIV抗体検査を無断実施し、その結果、原告のHIV感染の事実が判明したことから、それを理由に原告の退職を図って、当初は、感染事実の判明を契機にブラジルへの帰国を促したが、原告が応じなかったため、不景気によるリストラを表面的な理由として原告を解雇したものと認めるのが相当である。〔中略〕
〔解雇-解雇事由-病気〕
〔解雇-解雇権の濫用〕
 被告会社が、合理的かつ客観的な必要性もなく、かえって前述のような不当な意図の下に、原告にHIV抗体検査を行うことを知らせず、当然その同意を得ることもなく、B病院に右検査を依頼し、その結果の記載された検査結果票を受けとった行為は、従業員についてのHIV感染に関する個人情報を取得し、あるいは取得しようとしてはならないという義務に違反し、原告のプライバシーを不当に侵害するものであるとともに、原告のHIV感染を実質的な理由としてなされた解雇も、正当な理由を欠くものであって、解雇権の濫用として無効というべきである。
〔労働契約-労働契約上の権利義務-使用者に対する労災以外の損害賠償〕
 被告会社の行為によって、原告はそのプライバシーを侵害され、また不当に解雇されたものであり、これによって原告が多大の精神的苦痛を受けたことは明らかであるが、HIV感染の事実そのものはすでに原告は知っていたものであることを考慮すると、原告の右精神的苦痛に対する慰藉料としては二〇〇万円が相当と認められる。〔中略〕
〔労働契約-労働契約上の権利義務-使用者に対する労災以外の損害賠償〕
 前述したとおり、個人のHIV感染に関する情報が保護されるべきものであること、事業主にその従業員についてHIV感染の有無を知る必要性は通常認められず、必要性が認められる場合であっても本人の同意が必要と解されることからすれば、HIV抗体検査を実施する医療機関においては、たとえ事業主からの依頼があったとしても、本人の意思を確認した上でなければHIV抗体検査を行ってはならず、また、検査結果についても秘密を保持すべき義務を負っているものというべきであり、これに反して、本人の承諾を得ないままHIV抗体検査を行ったり、本人以外の者にその検査結果を知らせたりすることは、当該本人のプライバシーを侵害する違法な行為であると解すべきである。
 (二) しかるに、前述のとおり、被告Yの経営するB病院では、被告会社の依頼に基づき、原告にHIV抗体検査をすることを告げず、原告の意思を確認することなく、原告から右検査のための血液を採取して、保健科学研究所にHIV抗体検査を依頼し、同研究所から送付を受けた検査結果票を被告会社に交付したものであって、その行為は医療機関として負っている前記義務に違反し、原告のプライバシーを侵害する違法な行為であると認められる。
〔労働契約-労働契約上の権利義務-使用者に対する労災以外の損害賠償〕
 被告Yの右行為により、原告はそのプライバシーを侵害され、これがもとで被告会社からの不当解雇等の問題が派生するなど、多大の精神的苦痛を受けたことは明らかであるが、前同様、HIV感染の事実は原告も知っていたことを考慮すると、右精神的苦痛に対する慰藉料としては一五〇万円が相当と認められる。
〔解雇-短期労働契約の更新拒否(雇止め)〕
 1 前述したとおり、本件雇用契約は、契約期間を、契約締結日から一年間とし、右期間は、契約期間終了後、一年毎に更新することができるが、更新を希望しないときは、相手方に二か月前までに通知する旨の定めがある。
 そして、右契約条項や、原告の場合は平成九年九月一七日に雇用契約を締結したばかりであって、まだ一度も契約は更新されていないこと、原告が従事していた作業の内容は、製品の梱包作業や巻き直し作業、清掃作業等の比較的軽易なものが主体で、長期間の継続した就労による技術の修得等を要するようなものではなかったこと(証人A、弁論の全趣旨)、原告以外の雇用契約が更新された従業員についても、その更新ごとに改めて雇用期間を一年間とする雇用契約書が取り交わされていること(〈証拠略〉)などからすれば、原告と被告会社間の本件雇用契約は、その内容のとおりに一年間を雇用期間と定め、更新されない限りはその期間の満了によって終了する性質のものであると認められるのである。
 原告は、そうであっても、本件雇用契約には、期間満了後の更新を期待させる合理的な事情が存在したとして、原告は就労ビザを取得して長期就労の意思を有していたことや、旅費の負担、宿舎の用意等に関する主張をしているのであるが、そのような事情があるからといって、雇用契約の更新が当然に予定され期待できたものということはできず、また証拠(〈証拠略〉)によれば、被告会社において平成八年度以降採用した日系ブラジル人一六名のうち、現在も在職している者は僅か三名で、一年以上更新した者は右三名を含めて七名しかいないことが認められるのであって、このような雇用状況からしても、雇用期間満了後の更新が合理的に期待できたものとはいえず、他に雇用契約の更新を期待させる合理的な事情の存在は認められない。
 2 被告会社は、平成一〇年七月一二日、原告に対し、本件雇用契約の更新を拒絶する旨通知しており、したがって同年九月一六日をもって被告会社と原告との間の本件雇用契約は終了したことが認められる。