全 情 報

ID番号 07636
事件名 遺族補償給付等不支給処分取消請求控訴事件
いわゆる事件名 滝川労基署長(北炭空知鉱)事件
争点
事案概要  昭和二三年から約一五年四ヶ月間、炭坑坑内夫として粉じん業務に従事していたAが、じん肺に罹患し、昭和五六年にじん肺法四条二項の管理区分「管理三イ」と決定され、それ以降、ほぼ年二回の定期健康診断を受けていたが、平成元年に肺がんと診断されて翌月に急性呼吸不全により死亡したため、Aの妻Xが、滝川労基署長Yに対し、労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したが、Yより不支給処分を受けたため、Aの死亡はじん肺の急性悪化による呼吸不全を原因とするもので業務上の事由によるものであるとして、右処分の取消を請求したケースの控訴審(Y控訴)で、原審はXの請求を認容していたが、Aの死因は肺がんに起因する急性呼吸不全であるとしたうえで、Aには、じん肺により肺がんの発見が遅れたり、治療の適用範囲が狭められるなどの著しい医療実践上の不利益があったということはできないことなどから、Aの死亡が業務上の事由によるものではないとして、原審の判断が取消され、Xの請求が棄却された事例。
参照法条 労働者災害補償保険法7条1項1号
労働者災害補償保険法12条の8第1項
労働基準法施行規則別表1の2第5号および第9号
じん肺法4条2項
体系項目 労災補償・労災保険 / 業務上・外認定 / 職業性の疾病
裁判年月日 1999年6月10日
裁判所名 札幌高
裁判形式 判決
事件番号 平成9年 (行コ) 9 
裁判結果 原判決取消、請求棄却(上告)
出典 訟務月報46巻6号3008頁
審級関係 一審/06963/札幌地/平 9. 7. 3/平成6年(行ウ)17号
評釈論文
判決理由 〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-職業性の疾病〕
 遺族補償給付及び葬祭料の支給は、労働者が業務上死亡した場合に遺族又は葬祭を行う者の請求に基づいて行うこととされている(労働者災害補償保険法《以下「労災保険法」という。》一二条の八第一項、二項及び労働基準法《以下「労基法」という。》七九条、八〇条)ところ、労働者が業務上の疾病に起因して死亡したときは、右にいう「労働者が業務上死亡した場合」に該当するものと解されている。
 そして、業務上の疾病の範囲は、命令で定めるものとされ(労災保険法一二条の八第一項、二項及び労基法七五条)、これを受けた労働基準法施行規則(以下「施行規則」という。)三五条、別表第一の二において具体的に定められている。これによれば、療養を要するじん肺及び前記(1)の合併症は業務上の疾病であるとされている(同表五号)が、じん肺に合併した肺がんは、少なくとも明示的には業務上の疾病であるとはされていない。
 もっとも、労働省労働基準局長が各都道府県労働基準局長に対して発した「じん肺症患者に発生した肺がんの補償上の取扱いについて」と題する昭和五三年一一月二日付けの通達(六〇八号通達)によれば、じん肺法によるじん肺管理区分が管理四と決定された者であって、現に療養中の者に発生した原発性の肺がんについては、施行規則別表第一の二第九号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」として取り扱うこととされている。また、六〇八号通達によれば、現に決定を受けているじん肺管理区分が管理四でない場合又はじん肺管理区分の決定が行われていない場合において、当該労働者が死亡し、又は重篤な疾病にかかっている等のためじん肺法一五条一項の規定に基づく随時申請を行うことが不可能又は困難であると認められるときは、地方じん肺診査医に対しじん肺の進展度及び病態に関する総合的な判断を求め、その結果に基づきじん肺管理区分が管理四相当と認められる者についても、これに合併した原発性の肺がんを右と同様に取り扱うものとされている。〔中略〕
 被控訴人は、本件死亡が肺がんによるものであるとしても、現在の医学上確立した知見によれば、じん肺と肺がんとの間には因果関係が認められており、Aの肺がんがじん肺に起因して発生したといえるから、本件死亡は業務上の事由によるものである旨主張する。〔中略〕
 労働省労働基準局長は、昭和五一年九月、珪肺労災病院のBを座長とし、ほか七名の専門家によって構成されたじん肺と肺がんとの関連に関する専門家会議に対して、じん肺による健康障害について検討するように委嘱し、これを受けた専門家会議は、昭和五三年一〇月一八日、同局長に対して検討結果を報告(以下「専門家会議報告」という。〈証拠略〉したが、その概要は次のとおりである。
 ア 粉じんの発がん性について
 じん肺の主要な起因物質であるけい酸又はけい酸塩粉じんの発がん性については、現時点においてこれを積極的に肯定するような見解は得られなかった。
 イ 実験病理学的成果について じん肺とこれに合併した肺がんとの病因論的関連性については、未だ不明の点が多く、これを解明しうる実験モデル作成は困難である。
 したがって、これまでの実験成果から得られる情報は乏しく、かつ限られた範囲のものでしかない。
 ウ 病理学的検討について
 がんの組織型や原発部位のみから直ちに職業性のがんであるか否かを判定することは困難である。
 粉じんの吸入量と肺がんの合併頻度との間に量反応関係が欠けているようにみえる報告もあるが、じん肺における病変の多彩さなどを考えると、直ちに両者の量反応関係を否定し去ることはできない。〔中略〕
 エ じん肺と肺がんの合併頻度について
 じん肺剖検例の検討では、けい肺を主体とするじん肺患者に高頻度に肺がんが合併している現象は、全国的な拡がりにおいてみられる可能性のあることが示唆される。
 一般病院施設における外来・入院患者の調査結果では、全体として肺がんの合併頻度は高い傾向にあった。
 オ 疫学的情報について
 我が国においても諸外国においても、現在得られている疫学的情報は極めて限られたものでしかない。また、これらの報告は、調査方法が種々異なっており、母集団が明確でないものが多い。〔中略〕 カ じん肺合併肺がんに対する行政的保護措置の必要性について
 じん肺と合併肺がんの因果性の立証については、なおかつ病因論的には今後解明を待たなければならない多くの医学的課題が残されている。
 しかし一方、我が国のじん肺と肺がんの合併の実態は、じん肺剖検例及び療養者において高頻度であることが明らかである。しかも、じん肺合併肺がん患者を取り扱った一般医療機関の臨床医師により、〔1〕 肺がんの早期診断がしばしば困難となる、〔2〕 肺がんの内科的・外科的適応が狭められる、〔3〕 じん肺と肺がんの両者の存在のもとでは一層予後を悪くするなど、種々の医療実践上の不利益が指摘されていることなどからすれば、じん肺に合併した肺がん症例の業務上外の認定に当たっては、これらのじん肺罹患者の病態と予後にかかわる実態が十分に考慮され、補償行政上すみやかに何らかの実効ある保護施策がとられることが望ましい。〔中略〕
 専門家会議報告以降に発表された報告の中には、じん肺と肺がんとの間の関連性が高いことを示すものがあるが、〔中略〕結局、現在の医学的知見では、じん肺と肺がんとの間の関連性が示唆されるにとどまり、直ちに高度の蓋然性をもって両者の間の一般的因果関係を認めるには至っていないというべきである。
 被控訴人は、IARC報告の発がん性評価において、結晶性シリカ(遊離けい酸)がグループ1に分類されたことを前提とした上、Aは、その従事していた北炭空知鉱内において、遊離けい酸の含有率の極めて高い粉じんを吸入していたことなどから、Aのじん肺と肺がんとの因果関係は肯定される旨主張する。しかしながら、既に説示したとおり、結晶性シリカをグループ1と分類したIARC報告には問題点があるのみならず、国際的な合意を得た最終結論でもないことなどからすれば、その余の点を判断するまでもなく、被控訴人の右主張事実をもって、Aのじん肺と肺がんとの因果関係を認めることはできないというべきである。〔中略〕
 六〇八号通達において、じん肺法による管理区分が管理四で現に療養中の者及び管理四相当であると認められる者に発生した原発性の肺がんのみを業務上の疾病として取り扱うものとしていることは前記のとおりであるが、これは、専門家会議報告で指摘された高度に進展したじん肺病変の存在が、肺がんの早期診断の困難性、肺がんの治療方法の制限及び予後不良という医療実践上の不利益を考慮したものと解される。
 そして、六〇八号通達の根拠が医療実践上の不利益があることに鑑みれば、管理四又は管理四相当でなくても、じん肺により肺がんの発見が遅れたり治療の適用範囲が狭められるなどの医療実践上の不利益があり、その不利益の程度が著しい場合には、肺がんの病状の持続ないし増悪とじん肺との間には相当因果関係があると認めるのが相当であり、その場合、右肺がんは施行規則別表第一の二第九号にいう「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するというべきである。〔中略〕