全 情 報

ID番号 : 08460
事件名 : 損害賠償請求事件
いわゆる事件名 : 富士電機E&C事件
争点 : うつ病による休職を経て職場復帰後自殺した管理職に対する過重業務の有無及び安全配慮義務違反の有無が争われた事案(使用者勝訴)
事案概要 : Y社従業員であったAは、うつ病にり患したため一時休職した後職場復帰したが、Yが中部支社に転勤を命じ、過重な業務に従事させたためうつ病が再発し、その結果自殺に至ったとして、Yに対し、Aの妻Xらがそれぞれ相続した安全配慮義務違反に基づく損害賠償金の支払いを求めた事案である。
 名古屋地裁は、過重業務の有無について、中部支社に転勤後うつ病は完全寛解していたAにとって、管理職としての業務一般及びAが従事した個々の業務は心理的負荷を及ぼすような過重なものではなかったとした。また、安全配慮義務違反については、精神的疾患について事業者に健康診断の実施を義務付けることは労働者のプライバシー侵害のおそれが大きく、労働安全衛生法の規定ぶりなどからも健康診断検査項目外の精神的疾患に関する事項まで医師の意見を聴く義務を負うものではないことなどを認定し、そのうえで、Aを職場復帰させる際にY社内で協議をしたり、医師等専門家に相談することがなかったなど多少慎重さを欠いた不適切な対応はあったものの、当時のAの希望や心身の状態に相応の配慮が認められ、また、うつ病完全寛解後に過重業務は認められないことからも、Aのうつ病の再発及び自殺についてYに安全配慮義務違反があったとは言えないとして、Xらの請求を棄却した。
参照法条 : 労働安全衛生規則66条の2
労働安全衛生規則66条の3第1項
労働安全衛生規則44条1項民法415条
体系項目 : 労働契約(民事)/労働契約上の権利義務/安全配慮(保護)義務・使用者の責任
労働安全衛生法/健康保持増進の措置/健康診断
裁判年月日 : 2006年1月18日
裁判所名 : 名古屋地
裁判形式 : 判決
事件番号 : 平成15(ワ)3171
裁判結果 : 棄却(控訴)
出典 : 労働判例918号65頁
審級関係 :  
評釈論文 : 阿部和光・法律時報79巻5号110~114頁2007年5月三柴丈典・民商法雑誌136巻1号111~131頁2007年4月三柴丈典・労働法学研究会報59巻4号4~22頁2008年2月15日小宮文人・法学セミナー52巻3号121頁2007年3月
判決理由 : 〔労働契約-労働契約上の権利義務-安全配慮(保護)義務・使用者の責任〕
〔労働安全衛生法-健康保持増進の措置-健康診断〕
 太郎のうつ病は、中部支社への転勤を契機として、その症状が軽減する傾向にあったと推認することができる。その結果、前記1(17)で認定したとおり、D医師の所見によっても、太郎のうつ病は、遅くとも同年12月8日ころの時点で、完全寛解の状態に至ったものと認められる。〔中略〕
 前記争いのない事実等(2)のとおり、太郎が入社後一貫して電気工事の予算管理、原価管理、現場施工管理等の業務に従事してきたベテラン従業員であったこと、太郎は関西支社において既に管理職の経験があったこと等に照らせば、太郎が第三課で従事した業務は、内容面において、従前太郎が従事してきた業務と質的に大きな変化があったものということはできず、また、前記1(9)で認定したとおり、ISO認証取得の準備期間を除いては、太郎の勤務時間がさほど長時間にわたるものではなく、休日出勤もなかったことに照らせば、中部支社における太郎の業務は、量的な面でもさほど過重であったということはできない。
 その上、前記アで説示したとおり、太郎は、うつ病にり患し自宅療養を経たものの、自らの希望により職場復帰を果たしたこと、技術課長として処遇されることを承知の上、自ら中部支社への転勤を希望した結果、中部支社の技術部第三課長として赴任したこと、中部支社への転勤を契機にうつ病の症状が軽減する傾向にあったと推認できること、その結果、遅くとも平成10年12月8日ころの時点で、太郎のうつ病が完全寛解の状態に至ったことにかんがみれば、上記の管理職としての業務一般が、太郎にとって、心理的負荷を及ぼすような過重な業務であったと認めることはできない。〔中略〕
 (カ) 以上によれば、原告らが指摘する太郎が従事した個々の業務が、うつ病が完全寛解の状態にあった太郎にとって、過重であったと認めることはできない。〔中略〕
 オ 以上アからエまでを総合的に考慮すれば、中部支社において太郎が従事した業務により太郎が受けた心理的負荷が大きかったと認めることはできず、太郎にとって、上記業務が過重であったとは認められない。〔中略〕
〔労働契約-労働契約上の権利義務-安全配慮(保護)義務・使用者の責任〕
 (ウ) これを前提に、被告の負うべき安全配慮義務の内容について検討するに、確かに昨今の雇用情勢に伴う労働者の不安の増大や自殺者の増加といった社会状況にかんがみれば、使用者(企業)にとって、その被用者(従業員)の精神的な健康の保持は重要な課題になりつつあることは否めないところである。
 しかしながら、精神的疾患について事業者に健康診断の実施を義務づけることは、労働者に健康診断の受診を義務づけることにもつながるが、精神的疾患については、社会も個人もいまだに否定的な印象を持っており、それを明らかにすることは不名誉であるととらえていることが多いことなどの点でプライバシーに対する配慮が求められる疾患であり、その診断の受診を義務づけることは、プライバシー侵害のおそれが大きいといわざるを得ない。これらに、前記(ア)の労働安全衛生法及び労働安全衛生規則の各規定ぶりなどを併せ考慮すると、事業者は、労働安全衛生規則44条1項に定められた健康診断の検査項目について異常所見が認められた労働者に対する関係では、当該労働者の健康を保持するために必要な措置について、医師又は歯科医師の意見を聴くべき義務を負うものであると解するのが相当であり、これを超えて、精神的疾患に関する事項についてまで医師の意見を聴くべき義務を負うということはできない。そして、労働安全衛生法66条の3第1項所定の、事業者が負う就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮等の措置を講ずるべき義務は、同法66条の2を受けたものであるから、上記と同様、精神的疾患に関する事項には当然に適用されるものではないと解するのが相当である。
 また、前記(イ)のとおり、被告の安全衛生規程67条2項は、労働安全衛生法の規定を前提として、従業員の健康保持のため就業場所の変更等の措置を講ずる旨定めているところ、同規定も労働安全衛生法等法令に定められた法的な義務を前提として規定されたものと解されることから、前記のとおり、労働安全衛生法に定められた義務が精神的疾患に関する事項については妥当しない以上、安全衛生規程67条2項を根拠として、被告の主治医等からの意見聴取義務や就業場所の変更等の措置を講ずるべき義務が直ちに発生するとも認め難い。
 さらに、被告の安全衛生規程68条は、前記(イ)のとおり、「会社は、傷病および特定疾病(精神疾患、慢性疾患など)により、長期欠勤者が職場に復帰する時、または業務上疾病の疑いがある従業員に対しては、再発または増悪を防止するために、産業医の診断を受けさせ、その指示に基づいて健康要保護者としての管理を行う。」と定めているが、前記のとおり、労働安全衛生法も、事業者に対し、精神的疾患に関する事項について、具体的な法的義務を課していないと解されることに照らせば、被告の安全衛生規程68条は、精神的疾患により長期欠勤していた従業員が職場に復帰する際、被告において、当該従業員に対し、産業医の診断を受けさせ、健康要保護者として管理を行うことができることを規定したものと解するのが相当であり、同規定を根拠として、原告らが主張する具体的な法的義務が直ちに発生すると解することには無理がある。〔中略〕
 (オ) 以上によれば、被告は、太郎の職場復帰及び就労の継続につき、太郎の心身の状態に配慮した対応をすべき義務を負っていたと解するのが相当である。〔中略〕
 そうすると、前記のとおり、被告が太郎を職場復帰させる過程において、いささか慎重さを欠いた不適切な対応があったことは否めないものの、被告は、太郎の職場復帰に際し、太郎の心身の状態に相応の配慮をしたと認められることから、被告に安全配慮義務違反があったとまで認めることはできない。
 しかも、前記1(17)で認定したとおり、D医師の所見によっても、太郎のうつ病は、平成10年12月8日ころの時点で、完全寛解の状態に至っていたのであるから、被告が、太郎を職場復帰させ、中津倉庫2階にある工事事務所での業務に従事させたことが、太郎のうつ病の再発、ひいては自殺の原因となったものとは到底認めることができない。
 (イ) 太郎が中部支社に転勤した後の被告の安全配慮義務違反の有無について検討するに、前記(ア)で説示したとおり、太郎のうつ病は、平成10年12月8日ころの時点で、完全寛解の状態に至っていたのであるから、それ以前の被告の安全配慮義務違反が太郎のうつ病の再発及び自殺の原因となったものと認めることはできない。
 また、太郎のうつ病が完全寛解した後の被告の安全配慮義務違反について検討するに、うつ病が完全寛解の状態にあった太郎にとって、中部支社で従事した業務は、前記(1)で説示したとおり、過重であったと認めることはできないのであるから、被告に安全配慮義務違反があったと認めることはできない。
 ウ 以上によれば、太郎のうつ病の再発及び自殺について、被告に安全配慮義務違反があったと認めることはできず、争点(2)についての原告らの主張は、理由がない。