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ID番号 : 08522
事件名 : 損害賠償請求控訴事件
いわゆる事件名 : JR西日本尼崎電車区事件
争点 : 電車運転士が受けた日勤教育と自殺との間に相当因果関係があるか否かが争われた事案(使用者勝訴)
事案概要 : Y1社の電車運転士であったAが自殺したのは、日勤教育が原因であるとして、遺族XがY1及び上司Y2ら3名に対して損害賠償を請求した事案の控訴審である。
 第一審大阪地裁は、日勤教育とAの自殺との間の条件的因果関係は認めたものの、権利侵害行為と結果(損害発生)との間に法律上の因果関係があるというためには、相当因果関係が存在することが必要であり、Y2らが十分な注意を払っても日勤教育を通してAの精神状態が悪化し自殺に至ると予見することはできなかったとして、Xの請求を棄却した。
 第二審大阪高裁は、日勤教育自体の相当性を認め、Aの自殺は、事前に聞いた日勤教育の内容に対する不安感、レポート作成時の虚偽記載による心理的負担等により、自責感や自己卑下を伴ううつ状態となったとした上で、日勤教育がXの精神状態を悪化させたことが事実として認められるとしても、自殺までに至るということは極めて特異なことであり通常生ずべき結果ではなく、Y2ら日勤教育担当者には、Aが死という極端な選択をするまでの受取り方をするという心理展開の予測可能性はなかったとして、一審を維持した。
参照法条 : 労働者災害補償保険法7条
労働者災害補償保険法11条
労働者災害補償保険法12条の8
民法415条
民法709条
体系項目 : 労働契約(民事)/労働契約上の権利義務/安全配慮(保護)義務・使用者の責任
労働契約(民事)/労働契約上の権利義務/従業員教育の権利
労働契約(民事)/労働契約上の権利義務/使用者に対する労災以外の損害賠償
裁判年月日 : 2006年11月24日
裁判所名 : 大阪高
裁判形式 : 判決
事件番号 : 平成17(ネ)948
裁判結果 : 棄却(上告)
出典 : 労働判例931号51頁
審級関係 : 一審/08381/大阪地/平17. 2.21/平成14年(ワ)8802号
評釈論文 :
判決理由 : 〔労働契約-労働契約上の権利義務-使用者に対する労災以外の損害賠償〕
〔労働契約-労働契約上の権利義務-従業員教育の権利〕
〔労働契約-労働契約上の権利義務-安全配慮(保護)義務・使用者の責任〕
 一郎の自殺の原因として、本件日勤教育そのものによる心理的負担があることは疑いを容れないところであり、本件日勤教育と一郎の自殺との間の事実的因果関係を否定することはできない。しかし、一郎の自殺の原因は、それだけではなく、本件日勤教育の前に同僚らを通じて、一郎に伝えられていた日勤教育の内容(それは日勤教育の一面を誇張したものであるし、実際に行われた本件日勤教育の内容は、それと同一ではない。)が、日勤教育を受けたことのない一郎の心情に不安感を呼び起こしたこと、一郎自身がレポートの作成にあたって虚偽を記載したことによる心理的負担を負ったことなども、本件日勤教育そのものによる心理的負担と共に、一郎の自殺に影響を与えた(因果関係を有する)ものといわなければならない。〔中略〕日勤教育と一郎の自殺との間に条件的因果関係のあることは否定できないと考えられるところ、権利侵害行為と結果(損害発生)との間に法律上の因果関係があるというためには、単に条件的因果関係があるのみならず、行為と損害発生との間にいわゆる相当因果関係があると認められることを要すると解すべきである。
 被控訴人会社において、日勤教育を行うことに、それを行う意義と必要性があること、及び、一郎に対して、日勤教育を指定したことに相当性があることは、いずれも前示のとおりである。このような場合、使用者が、被用者に対し、指導・教育を行ったことにより、あるいは指導・教育方法の誤り等で被用者を精神的に追い詰め、精神状態を悪化させたことが、事実として認められるとしても、その精神状態の悪化から自殺までに至るということは、極めて特異な出来事というべきであって、通常生ずべき結果ではないといわなければならない。
 本件においても、前記の一郎に対する日勤教育を命ずるに至った経緯、日勤教育の内容及び方法、1日当たりの日勤教育の時間及び日勤教育が行われた期間等を考慮すると、日勤教育の指定ないし実施と一郎の自殺との間に法律上の因果関係があるというためには、被控訴人A、同B、同C又はE助役あるいは被控訴人会社において、日勤教育を命じ、これを受けさせたことによって一郎が精神状態を悪化させ、その結果自殺したという結果について予見可能であったことを要するというべきである。
 そこで、再度、一郎が自殺を選択し、不幸にも死の転帰をたどった心理過程を考察すれば、その2日前に表出した自殺をほのめかす言動を無視することはできないと考えられる。すなわち、一郎は9月4日夜、最も親しい同僚に対し、「クリスチャンでは自殺は大罪やもんな」「仕事を辞める」などと漏らしているが、18歳から転勤や配転を克服した25年間にも及ぶ職場生活に決別し、さらには、将来のある年齢でありながら自ら命を断つという思い詰めた言は、生前病歴にみるものもなく、性格的にも明朗で、過去に短慮に出た行動ひとつなかった一郎の健康・性格・行動傾向に照らせば、決して軽々に口に出したものとは考えられないのであって、そこには、前記オに説示したとおり、本件日勤教育に従事後に徐々に形成された苦悩の凝縮を見い出さざるを得ない。しかし、いうところの死に直結する苦悩を醸成した原因を、控訴人主張のような日勤教育一般に随伴する問題に解消することができないことや、本件日勤教育といっても、他の運転士の場合と異なる肉体的・精神的負荷を課すものではなかったことは既に述べたとおりである。そして、本件日勤教育3日目における一郎の言動を仔細に検討すれば、一郎の場合、過度な不安を抱いて始まった日勤教育において、何よりも、普段の乗務では難なくこなせてきた実践を、日勤教育担当者の期待水準に達する形でレポートとして文章化することに躓いたばかりか、無理をして虚偽内容のレポートを作成したり、果ては、本来の力量を発揮できずに、信号機の喚呼方法・確認方法、後部確認指定駅という運転士としての基本知識に関する知悉度テストにも十分に答えられなかった衝撃が、職業人としての自信を喪失せしめ、思い詰めた結果のうつ状態が引き金となって自己の全否定につながったものと推認するのが相当である。
 このような日勤教育での中心となったレポート作成作業は、普段は乗務に専心して机仕事から離れている運転士一般に慣れない業務であるし、ものを書くという作業は話し言葉と異なる精神作用を要することであるが、反面、物事を極め、深い問題意識を啓発し、その見方、判断を整理するという教育的効果を発揮するものであってみれば、これを積極的にとらえる被控訴人A、同B、同Cら日勤教育担当者らが、一郎が3日間の教育課程で、それに十分な対応ができなかったからとて、それが死という極端な選択をするまでの受取り方をするという心理展開の予測可能性はなかったというほかない。この点は、2週間から1か月、さらには、教育効果が上がらずに、1か月以上に及ぶ日勤教育を受けた同僚運転士が、いずれも、同様の精神的負担を乗り越えて通常乗務に復帰していることからしても明らかである。
 控訴人は、それにしても、この9月4日の「頭が痛くて書けません」などという文言や、自責感、自己卑下の感情をあらわにした一郎のレポート内容に照らしてみれば、他の運転士の場合と異なり、一郎がこの段階で心身の異常を来していたとの予見可能性を否定できないとも主張している。すでに認定のとおり、上記管理者側においても、一郎がレポート作成に呻吟していることを認識していたことは首肯できるが、本件では、自殺による死の結果が法益侵害として問責されており、管理者側のいずれも、上記のような死に直結する一郎の言動を認識していたわけではないのであるから、控訴人の主張を考慮に入れても、やはり予見可能性の存在を納得せしむべき事情とは解されない。
 キ したがって、日勤教育と一郎の自殺との間の相当因果関係を認めることはできない。」