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ID番号 : 08757
事件名 : 労働者災害補償保険遺族補償給付不支給処分取消等請求事件
いわゆる事件名 : 国・中央労働基準監督署長(リクルート)事件
争点 : 出版編集者のくも膜下出血死につき父母が遺族補償給付等不支給処分の取消しを求めた事案(父母勝訴)
事案概要 : 出版社の編集者(労働者)が自宅で多発性嚢胞腎に伴う脳動脈瘤が破裂してくも膜下出血を発症し、その後死亡したのは業務に起因するものであるとして、父母が遺族補償給付及び葬祭料の支給を求めたところ労基署長が不支給処分としたことから、これの取消しを求めた事案である。 東京地裁は、労働時間の過少申告が恒常的に行われていた実態や、従事した業務の質的過重性について認定した上で、本件疾病であるくも膜下出血は、労働者が元々有していた基礎疾患等が、会社における特に過重な業務の遂行によりその自然の経過を超えて急激に悪化したことによって発症したものとみるのが相当であり、労働者の業務遂行と本件疾病の発症との間に相当因果関係の存在を肯定することができ、労働者の死亡は労災保険法にいう業務上の疾病によって生じたものというべきであるとして、遺族補償給付及び葬祭料を不支給とした処分を取り消した。
参照法条 : 労働者災害補償保険法7条
労働者災害補償保険法12条の8
体系項目 : 労災補償・労災保険/業務上・外認定/業務起因性
労災補償・労災保険/業務上・外認定/脳・心疾患等
労災補償・労災保険/補償内容・保険給付/遺族補償(給付)
労災補償・労災保険/補償内容・保険給付/葬祭料
裁判年月日 : 2009年3月25日
裁判所名 : 東京地
裁判形式 : 判決
事件番号 : 平成18行(ウ)480
裁判結果 : 認容
出典 : 判例時報2061号118頁
判例タイムズ1317号160頁
労働判例990号139頁
審級関係 :
評釈論文 :
判決理由 : 〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-業務起因性〕
〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-脳・心疾患等〕
〔労災補償・労災保険-補償内容・保険給付-遺族補償(給付)〕
〔労災補償・労災保険-補償内容・保険給付-葬祭料〕
(4) 小括
 以上によれば、本件において、証拠上明らかに認められる亡一郎の時間外労働時間は、発症前1か月目は39時間22分、発症前2か月目は67時間32分、発症前3か月目は83時間44分、発症前4か月目は25時間30分、発症前5か月目は71時間20分、発症前6か月目は50時間30分となるところ、亡一郎は、これに加えて1か月に一、二回の休日労働に従事していたことや、更に一定の時間外労働に従事していたことや、平日の深夜ないし未明や休日に自宅で業務を行っていたことが推認できることは前判示のとおりである。そして、亡一郎は、週に数回、徹夜ないしそれに近い状況で業務を行うことを繰り返しており、その業務自体から直ちに過重な精神的負荷を受けていたとはいえないとしても、質の高い仕事を行うべく一定の精神的負担を受けていたことを考慮すると、亡一郎の業務は、B-ing編集課及びインターネット企画グループの各在籍中を通じて特に過重なものであったというべきである。
(5) 亡一郎のくも膜下出血に対する同人の基礎疾患の影響について
 亡一郎がり患していた多発性嚢胞腎とくも膜下出血(本件疾病)との関係については、様々な医師の意見が対立していることは前判示(1(8))のとおりであるところ、被告は、亡一郎が多発性嚢胞腎にり患しており、多発性嚢胞腎に合併した脳動脈瘤は、高い割合で、かつ若年で破裂するのであるから、亡一郎のくも膜下出血は多発性嚢胞腎により発症したものであって業務起因性がない旨主張する。
 そこで検討するに、確かに、亡一郎は、多発性嚢胞腎にり患し、その父方の祖母も脳溢血のために38歳で死亡しており、脳動脈瘤の発生、破裂及び高血圧発症の危険因子を有していたといえる。
 しかしながら、証拠によれば、脳動脈瘤は血行力学的因子及び加齢により増悪し、数十年単位で経年的に破裂率が高まること、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の好発年齢は一般的に40ないし60歳であり、多発性嚢胞腎患者の場合、60ないし69歳で頭蓋内出血の既往がある者が10.6パーセント、40歳以下では1.9パーセントであって、加齢により頭蓋内出血の割合が増大することが認められるところ、亡一郎は29歳という若年でくも膜下出血を発症したものである。
 また、亡一郎の多発性嚢胞腎の重症度をみると、平成3年ないし平成8年の検査でクレアチニン値及び血中尿素窒素は、いずれもほぼ基準値の範囲内であり、肉眼的血尿が認められたものの、受診時はごく軽度であって、三、四か月に1度の通院による経過観察の指示を受けただけにすぎず、特段の治療は施されていない。また、平成3年ないし平成8年の検査で、亡一郎の血圧は、いずれも、収縮期血圧は正常域又は正常域を僅かに超えるものであり、拡張期血圧は概ね境界域又は境界域を僅かに超えるものにすぎず、さらに脂質についてもいずれも基準値内又はこれを僅かに超えるものにすぎないのであって、血圧及び脂質ともに、治療を要する程度には至っていない。そして、亡一郎は、本件疾病の発症まで、脳・心臓疾患により受診したり、受診の指示を受けた形跡はなく、日常業務を支障なくこなしていた。
 認定の事実によれば、亡一郎は本件疾病であるくも膜下出血を発症しているのであるから、その発症の基礎となり得る素因等又は疾患を有していたことは明らかであるが、その程度や進行状況を明らかにする客観的資料がないだけでなく、同人は死亡当時29歳と相当程度に若年であり、死亡前に脳・心臓疾患により医療機関を受診したり受診の指示を受けた形跡はなく、血圧についても境界域高血圧又はこれを僅かに超える程度のものに過ぎず、健康診断においても格別の異常は何ら指摘されていないことから、同人が脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の危険因子の一つである多発性嚢胞腎にり患していることや同人の家族歴等、亡一郎の有する危険因子の存在を考慮しても、上記基礎疾患が亡一郎の有する個人的な危険因子の下で、他に確たる発症因子がなくてもその自然の経過により血管が破裂する寸前にまで進行していたとみることは困難である(亡一郎の本件疾病は、同人の多発性嚢胞腎等の私的危険因子が原因であるとする前記医師の意見は、前判示の諸事情に照らし、採用できない。)。そして、亡一郎がB-ing編集課及びインターネット企画グループの各在籍中を通じて特に過重な業務に従事していたことは前判示のとおりである。
(6) まとめ
 以上の事実関係によれば、本件疾病であるくも膜下出血は、亡一郎の有していた基礎疾患等がリクルートにおける特に過重な業務の遂行によりその自然の経過を超えて急激に悪化したことによって発症したものとみるのが相当であり、亡一郎の業務の遂行と本件疾病の発症との間に相当因果関係の存在を肯定することができる。亡一郎の死亡は、労災保険法にいう業務上の疾病によって生じたものというべきである。
3 結語
 以上の次第で、亡一郎の死亡は業務上の事由によるものとは認められないとして原告らに対する遺族補償給付及び葬祭料を支給しないとした本件不支給処分は違法であり、取消しを免れない。