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ID番号 : 08833
事件名 : 地位確認等請求事件
いわゆる事件名 : 富士ゼロックス事件
争点 : オフィス機器会社の女性労働者が一度行った退職の意思表示の無効・取消しを主張した事案(労働者勝訴)
事案概要 : カラー複写機などのオフィス機器の製造・販売等を主たる業とする会社Yで営業職として雇用されていた女性労働者Xが、一度行った退職の意思表示について錯誤による無効又は強迫による取消しを主張し、労働契約上の地位確認と未払賃金、賞与等の支払を求めた事案である。 東京地裁は、Xによる長期間に及ぶ勤怠の虚偽申告、二重請求等は決して許されるものではないものの、積極的にYを欺罔して金員を得る目的・意図をもってしたものではないこと、二重請求等に故意はなく、過剰請求額も9420円と多額でなくまた返金されていること、長期に及ぶ杜撰なDI出退勤時刻の入力にはYの勤怠管理の懈怠も影響しているといえることを総合考慮すると、その動機、態様等は懲戒解雇に値するほど悪質ではないとした。その上で、懲戒解雇は重過ぎる処分であり社会通念上相当でなく、意思表示の前提になっていた懲戒解雇は元々成立しなかったと認定し、それを避けるためにやむを得ず行ったXの意思表示には要素の錯誤が認められ、無効であるとして、地位確認、未払賃金いずれも認容した(将来請求は却下)。
参照法条 : 労働契約法15条
労働契約法16条
民法95条
体系項目 : 退職 /退職願 /退職願と心裡留保
懲戒・懲戒解雇 /懲戒事由 /タイムコーダー不正打刻
裁判年月日 : 2011年3月30日
裁判所名 : 東京地
裁判形式 : 判決
事件番号 : 平成21(ワ)44305
裁判結果 : 一部認容、一部却下
出典 : 労働判例1028号5頁/労働経済判例速報2110号3頁
審級関係 :
評釈論文 : 矢野昌浩・法学セミナー56巻12号129頁2011年12月
判決理由 : 〔退職‐退職願‐退職願と心裡留保〕
〔懲戒・懲戒解雇‐懲戒事由‐タイムコーダー不正打刻〕
 2 争点(1)(錯誤無効)について
 (1) 争点(1)ア(錯誤の有無)について〔中略〕
 原告は在職の意向が強かったことに加え、前提事実(1)アによると、原告は、短期大学卒業直後から、20年間にわたり被告において勤務していたこと、本件退職意思表示当時、40歳の女性であったことが認められ、再就職が容易であるとはいえないことも考慮すると、被告が懲戒解雇を有効になし得ないのであれば、本件退職意思表示をしなかったものと認められる。したがって、被告が有効に懲戒解雇をなし得なかった場合、原告が、自主退職しなければ懲戒解雇されると信じたことは、要素の錯誤に該当するといえる。〔中略〕
 ウ 以下、被告が有効に懲戒解雇をなし得たかについて検討する。〔中略〕
 h 以上によると、原告による勤怠の虚偽申告は、長期間に及んでおり、本件出勤停止処分の対象とされた本件誤入力だけでも稼働日数60日中29回に及ぶ上、正確はDI出退勤時刻について説明を受けた後も継続していることなどからすると、原告は、勤怠管理や被告から金銭の交付を受けることに対する認識が著しく低く、杜撰であり、原告がした勤怠の虚偽申告、本件二重請求等は決して許されるものではなく、また、原告は、自己保身のため虚偽の説明をするなど、強く責められてしかるべきであるといえるものの、被告が勤怠の虚偽申告であると主張するものの中には、同時入退室等を原因とするものも相当数含まれていると推認されること、原告が自己に有利な時刻を入力した場合についても、積極的に被告を欺罔して、金員を得る目的、意図をもってしたものとは認められないこと、本件二重請求等に故意は認められないこと、過剰請求額は、本件誤入力分が1万1668円、本件二重請求等分は、平成20年9月の重複請求分と合わせて9420円であり、多額であるとはいえないところ、いずれも返金されていること、杜撰なDI出退勤時刻の入力が長期間に及んでいることには、被告による勤怠管理の懈怠も影響しているといえることを総合考慮すると、その動機、態様等は懲戒解雇が相当であるといえるほどに悪質であるとは言い難い。
 そうすると、原告には責められてしかるべき点があることを十分考慮してもなお、懲戒解雇は、重きに失すると言わざるを得ず、原告を懲戒解雇することは社会通念上相当であると認められない。
 (ウ) 以上によると、被告は、原告に対し、有効に懲戒解雇をなし得なかったものと認められる。
 エ よって、本件退職意思表示には動機の錯誤が認められ、上記動機は被告に表示されていたといえるから、本件退職意思表示には要素の錯誤が認められる。
 (2) 争点(1)イ(重過失の有無)について
 被告は、仮に原告に何らかの錯誤が存在したとしても、原告は、本件懲戒規程を確認し、自らの行為にかんがみて、このまま処分が決定すれば懲戒解雇になる可能性が極めて高いと認識するに至り、3月11日事情聴取から丸1日熟慮の上、平成21年3月12日、被告に対し、退職したい旨申し出、その後も一貫して退職するとの姿勢を維持しており、その間、十分に考慮する時間もあったのであるから、原告には重大な過失があった旨主張する。
 しかし、〈1〉 上記(1)ア(ア)において説示したとおり、被告人事担当者らが、原告に対し、自主退職せずとも出勤停止以下の処分になる可能性について具体的に言及したことを認めるに足りる証拠はないこと、〈2〉 認定事実(1)ア(エ)b(c)、イ、ウによると、原告は、3月11日事情聴取において、被告人事担当者らから、翌日までに自主退職するか回答するよう求められ、同日中に本件労働組合の役員に相談したが、「会社がそう言っているなら、組合としては何もできない」と言われ、他に相談できないまま、翌12日に自主退職する旨回答せざるを得なかったと認められること、〈3〉 認定事実(1)エ、クによると、原告は、上記〈2〉の回答後も、SOS総合相談グループに相談したが、有用なアドバイスは得られず、また、本件退職願に氏名等を記入した後も、本件組合の役員と面談したが、解雇は当然の処置であると言われたことが認められることからすると、原告は、被告人事担当者らのみならず、本件組合役員からも懲戒解雇が相当である旨の説明を受け、これを具体的に否定する説明を受けることができなかったのであるから、原告が、自主退職する旨の意向を示した後、本件退職意思表示までに約2か月間、再検討する猶予があったことを考慮しても、錯誤に陥ったことにつき原告に重大な過失があったと認めることはできない。
 (3) 以上によると、本件退職意思表示は、錯誤により無効であるといえる。
 3 原告の請求について
 (1) 地位確認
 上記2において説示したところによると、原告は、被告に対し雇用契約上の権利を有する地位にあるものと認められる。
 よって、上記地位にあることの確認を求める原告の請求は理由がある。
 (2) 賃金
 上記2において説示したところによると、原告は、被告に対し、本件退職意思表示以後の賃金の請求権を有しているものと認められる。
 そして、前提事実(2)イ(ア)、(9)によると、〈1〉 平成21年5月当時の原告の賃金は、月額39万7462円、当月末締め当月25日払であったこと、〈2〉 被告は、原告に対し、同月分の賃金として、18万5402円を支払ったことが認められる。
 以上によると、原告は、被告に対し、平成21年5月分として、上記賃金月額から上記既払額を控除した21万2060円の賃金請求権を有しており、また、同年6月分以降は、月額39万7462円の賃金請求権を有しているものと認められる。
 もっとも、本件訴えのうち、本判決確定の日の翌日以降の賃金の支払請求に係る部分は、将来の給付を求める訴え(民訴法135条)に該当するところ、これらについてあらかじめ請求をする必要があるとは認められないから、上記部分は不適法である。
 (3) 賞与
 前提事実(2)イ(イ)によると、原告は、平成20年7月4日に、平成20年度夏季賞与128万4000円(賞与106万4800円及び業績賞与21万9200円の合計額)、同年12月4日に、同年度冬季賞与107万6700円(全額賞与)を受給したことが認められる。
 原告は、平成21年7月以降も、毎年7月末日及び毎年12月末日限り、少なくとも、上記各賞与額から業績賞与分(被告の業績に応じて支給される賞与)を控除した金額と同額の賞与が支給される旨主張するところ、被告は、上記賞与額及び支給条件等について争わない。
 以上によると、原告は、被告に対し、平成21年7月以降、毎年同月末日限り、106万4800円、毎年12月末日限り、107万6700円の賞与請求権を有するものと認められる。
 もっとも、本件訴えのうち、本判決確定の日の翌日以降の賞与の支払請求に係る部分は、将来の給付を求める訴えに該当するところ、これらについてあらかじめ請求をする必要があるとは認められないから、上記部分は不適法である。