全 情 報

ID番号 00167
事件名 解雇無効確認等請求事件
いわゆる事件名 日立製作所事件
争点
事案概要  採用内定通知を受けた在日朝鮮人である原告が、履歴書等において本名、本籍等詐称したことを理由に採用を取消されたので、労働契約上の地位確認、賃金支払、慰謝料の支払を請求した事例。(請求一部認容)
参照法条 労働基準法3条,2章
民法90条
体系項目 労基法の基本原則(民事) / 均等待遇 / 国籍と均等待遇
労働契約(民事) / 採用内定 / 法的性質
労働契約(民事) / 採用内定 / 取消し
解雇(民事) / 解雇権の濫用
裁判年月日 1974年6月19日
裁判所名 横浜地
裁判形式 判決
事件番号 昭和45年 (ワ) 2118 
裁判結果 一部認容 一部却下 一部棄却(確定)
出典 労働民例集25巻3号277頁/時報744号29頁/タイムズ311号109頁
審級関係
評釈論文 伊藤博義・昭49重判解説199頁/下井隆史・ジュリスト568号123頁/秋田成就・労働判例203号4頁
判決理由  〔労基法の基本原則―均等待遇―国籍と均等待遇〕
 〔解雇―解雇権の濫用〕
 原告の慰謝料請求について考えるに、原告と被告間の労働契約が成立し、原告が前職場を退職した直後に、被告は、合理的な解雇理由がないのにかかわらず、原告が在日朝鮮人であることを理由にこれを解雇したのであるから、前述のとおり、労働基準法三条、民法九〇条に反する不法行為となることは明らかである。
 また、被告は、本件臨時員の募集採用にあたって、合理的理由のない民族的偏見から在日朝鮮人を差別して、これを採用しない方針を定めておきながら、表面上外部に対しては、原告の解雇はもっぱら本籍氏名を詐称した形式的理由によるものと巧妙にいつわっているのであるから、原告は自己の正当な権利を被告に主張するには訴訟を提起する方法によらざるを得ないところである。
 そして、原告が本件訴訟を提起し維持してきたことについて相当の経済的負担と精神的苦痛を重ねてきていることは推察するに余りがある。
 また、《証拠略》によると、原告はこれまで日本人の名前をもち日本人らしく装い、有能に真面目に働いていれば、被告に採用されたのち在日朝鮮人であることが判明しても解雇されることはない程度に甘い予測をしていたところ、被告の原告に対する本件解雇によって、在日朝鮮人に対する民族的偏見が予想外に厳しいことを今更のように思い知らされ、そして、在日朝鮮人に対する就業差別、これに伴う経済的貧困、在日朝鮮人の生活苦を原因とする日本人の蔑視感覚は、在日朝鮮人の多数の者から真面目に生活する希望を奪い去り、時には人格の破壊にまで導いている現状にあって、在日朝鮮人が人間性を回復するためには、朝鮮人の名前をもち、朝鮮人らしく振舞い、朝鮮の歴史を尊び、朝鮮民族としての誇りをもって生きて行くほかにみちがないことを悟った旨その心境を表明していることが認められるから民族的差別による原告の精神的苦痛に対しては、同情に余りあるものといわなければならない。
 したがって、本訴において原告の地位確認および賃金請求が認容され労働契約成立時以降の賃金相当額の支払を受けたとしても、なおその苦痛を償いきれるとは認められない。そこで、本件解雇に至った前述の経緯等諸般の事情を斟酌するとき、その精神的損害を償うには、被告は原告に対し、原告の主張するとおり、少なくとも金五〇万円を慰謝料として支払うのが相当である。したがって、被告は原告に対し、右金五〇万円及びこれに対する不法行為発生後であることが明らかな昭和四五年一二月一七日以降支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。
 〔労働契約―採用内定―法的性質〕
 以上の事実によると、被告が従業員募集の新聞広告を掲載したことは労働契約申込の誘引と解すべきであり、原告がこれに応募して被告会社の採用試験を受験したことは原告から被告に対する労働契約締結の申込になるものというべきである。
 そして、前記認定の事実、とくに右採用通知書の記載によれば、「種々の選考の結果あなたをソフトウエア工場(空白)として御採用申し上げることに決定致しました」として、寝具等の送付を手配させ、転出先を入寮先の住所にした転出証明書等の持参を要求していること、被告会社においては、昭和四五年九月一日発信の電文では「サイヨウナイテイ」としながら、右採用通知書においては「御採用申し上げることに決定」として、「内定」と「決定」とを使い分けているとみられること及び被告会社は、かなり厳格な筆記面接の従業員採用試験を行ないこの試験の過程を通じて採否を決するのに必要な資料を或程度蒐集し得ており、さらに本件採用が年度途中のいわゆる中途採用であり、採用試験と就労日の間隔が約一ケ月位しかなく、採用通知書発送から実際の就労日まで二〇日足らずの期間しか存しないなど、被告が労働力を緊急に必要としていた事情が推認できること等を考慮すると、被告から原告に対し前記採用通知書が発送されたことにより、被告の原告に対する労働契約締結承諾の意思表示がなされたものと解するのが相当である。したがって、原告、被告間の労働契約は、承諾の通知を発した昭和四五年九月二日に成立したものというべきである。
 (中略)
 前記一の1項に認定の事実に《証拠略》を併せ考えると原告が試験当日記載し被告に提出した身上調書には、その末尾に「この調書に私が記載しました事項はすべて真実であり、偽り、誤り、重要な事項の記入漏れがありません。もし、偽り、誤り、重要な事項の記入漏れがありました場合は採用取消解雇の処置を受けても異議を申し立てません。」旨明記されており、原告も右記載を承知で必要事項を記載し署名捺印したことが認められるので、これによれば、原告が被告に提出する身上調書等の書類に、労働力の評価基準であるべき諸般の事項につき被告企業に正当な認識を与えるよう真実を記載することを約し、もし右に反し虚偽の記載をし、真実を秘匿してこれを詐称したような場合は、後日これが判明したとき、被告においてこれを原因として原告との労働契約を解約しうる旨の合意があったものと推認できる。そうすると、原・被告間の前記労働契約には右のような解約権が留保されていた(後 略)。
 〔労働契約―採用内定―取消し〕
 一般には留保解約権に基く解雇は、通常の解雇の場合よりも広い範囲における解雇事由が認められるのであるけれども、留保解約権の行使は解約権留保の趣旨、目的に照らして、客観的合理的で社会通念上相当の場合にのみ許されるものといわなければならない。そして、本件では前記のとおり、身上調書等の書類に虚偽の事実を記載し或は真実を秘匿した場合における解約権留保が定められているのであるが、被告会社の臨時員就業規則には、後記2記載のとおり、同趣旨の労働者に経歴詐称等の不都合の行為があったときは懲戒解雇の一事由とされているのであるから、右の解約権留保の特約は懲戒事由と同一或は類似の要件をもって解約権行使の原因としたものと解することができる。したがって、本件における解約権留保の趣旨、目的及びその解約権行使の要件は、単に形式上「身上調書等の書類に虚偽の事実を記載し或は真実を秘匿した」事実があるだけでなく、その結果労働力の資質、能力を客観的合理的にみて誤認し、企業の秩序維持に支障をきたすおそれがあるものとされたとき、又は企業の運営にあたり円滑な人間関係、相互信頼関係を維持できる性格を欠いていて企業内に留めておくことができないほどの不信義性が認められる場合に、解約権を行使できるものと解すべきである。そして、右の不信義性は、詐称した事項、態様、程度、方法、動機、詐称していたことが判明するに至った経緯等を総合的に判断して、その程度を定めるべきものと解する。
 右の見地から本件を見るに、原告の労働力の資質、能力の誤認については問題がないというべきであるから、その不信義性について検討する。
 (中 略)
 原告が前記A株式会社に勤務していた期間は五ケ月有余、その前のB株式会社に勤務した期間は約二週間と比較的短期間であり、その職種も前者のときは経理要員、後者のときはプレス工であって、いずれも被告会社において勤務を予定されているソフトウエア要員とは職種が異なるばかりでなく、前記採用面接試験担当者が前職歴は採否に影響しないと説明しているように、被告会社自身原告の前職歴をさして重要視していないこと等を考え合わせると、原告が履歴書等に真実の現住所及び職歴を記載しなかったことは、本件原告に対する解約権行使の事由としては重要性に乏しいものとせざるを得ない。
 (中 略)
 原告が被告会社に就職したい一心から、自己が在日朝鮮人であることを秘匿して、日本人らしく見せるために氏名に通用名を記載し、本籍に出生地を記載して申告したとしても、前記のように、原告を含む在日朝鮮人が置かれていた状況の歴史的社会的背景、特に、我が国の大企業が特殊の例外を除き、在日朝鮮人を朝鮮人であるというだけの理由で、これが採用を拒みつづけているという現実や、原告の生活環境等から考慮すると、原告が右詐称等に至った動機は極めて同情すべき点が多い。
 一般に、私企業者には契約締結の自由があるから、立法、行政による措置や民法九〇条の解釈による制約がない限り労働者の国籍によってその採用を拒否することも、必ずしも違法とはいえないのである。しかし、被告は表面上、又本件訴訟における主張としても、原告が在日朝鮮人であることを採用拒否の理由としていない(しかし、被告の真意は後記認定のとおりである。)ほどであるから、原告が前記のように「氏名」、「本籍」を詐称したとしても(その結果、被告会社は原告が在日朝鮮人であることを知ることができなかったとしても)、これをもって被告会社の企業内に留めておくことができないほどの不信義性があり、とすることはできないものといわなければならない。
 (4)以上によって、原告に、被告の臨時員(ソフトウエア要員)として引続き留めておくことができないほどの不信義性がないこと明らかとなったのであるから、前記留保解約権の行使は許されないというべきである。
 (中 略)
 被告会社がいかなる理由で原告を解雇するに至ったかという点について考察するに、右のとおり被告が原告を解雇するほどの客観的に合理的な理由が乏しいばかりでなく、右解雇に至る事情、とくに前記のとおり、昭和四五年九月一五日以降同月一七日までの間の原告と被告会社との電話による交渉の経緯、すなわち、原告が在日朝鮮人であることを告げるや直ちに被告は採用を留保しておいてほしい旨述べたこと、その後会社側から連絡する旨約束しておきながら被告は同月一七日原告から問い合せがあるまで回答せず、右回答の内容も一般外国人は雇わない旨告げて原告の採用を取消する旨話していること、さらに右採用取消をするについても、できうればこれを救済して採用の取消を避けるよう配慮した形跡が見受けられないこと、及び同日被告会社は、原告に対し採用しないことにした旨告知した後に、原告の高校時代の担当教師に連絡をとって原告が在日朝鮮人であることを確め、被告会社の入社を断念するよう説得方を依頼している等の事情を併せ考えると、被告が原告に対し採用取消の名のもとに解雇をし、あるいはその後格別の事情もないのに本訴において懲戒解雇をした真の決定的理由は、原告が在日朝鮮人であること、すなわち原告の「国籍」にあったものと推認せざるを得ない。
 5 そうであるとすれば、被告の原告に対する前記留保解約権による解雇及び懲戒解雇の意思表示がいずれも許されないこと前述のとおりであるし、そのうえ、労働基準法三条に牴触し、公序に反するから、民法九〇条によりその効力を生ずるに由ないものというべきである。