全 情 報

ID番号 05294
事件名 地位確認等請求事件
いわゆる事件名 日産車体事件
争点
事案概要  社用車運転手からメール部門への配置換えにつき、社用車運転手に限定する合意はなかったとして、右配転は権利濫用にあたらず有効とされた事例。
参照法条 労働基準法2章
体系項目 配転・出向・転籍・派遣 / 配転命令権の限界
配転・出向・転籍・派遣 / 配転命令権の濫用
裁判年月日 1989年9月19日
裁判所名 横浜地小田原支
裁判形式 判決
事件番号 昭和62年 (ワ) 89 
裁判結果 棄却
出典 労働判例547号15頁/労経速報1370号3頁
審級関係
評釈論文
判決理由 〔配転・出向・転籍・派遣-配転命令権の限界〕
〔配転・出向・転籍・派遣-配転命令権の濫用〕
 2 本件業務変更の必要性等
 被告の主張2(1)ないし(3)の各事実は一部を除き当事者間にほぼ争いがない。
 右争いない事実に、(証拠略)、原告本人尋問の結果(但し、認定に反する部分を除く。)に弁論の全趣旨を総合すると、本件の経緯につき、およそ以下の事実を認めることができ、原告本人尋問の結果のうち認定に反する部分は信用せず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
 (1) 原告は昭和五八年五月九日の第一事故にて、頚部打撲挫傷、鞭打ち損傷により通院して療養した。受診医師は昭和五九年三月一〇日で治癒としたが、原告は同年四月中にも通院したため、任意保険の担当者が医師の治癒判定に沿った処理をすることに不満をもち、第二事故で療養中の昭和六〇年九月三〇日、保険会社の営業所所長Aに対し暴行を加えて現行犯逮捕された。
 (2) 昭和六〇年五月二四日原告は第二事故に遇い、同月二七日と同年六月一二日から同月一四日迄年休をとり、同月二一日から同年一〇月二七日迄右頭頂部打撲、腰椎捻挫、頚椎捻挫、右下肢不全麻痺等で入院、通院して病欠となった。
 (3) 昭和六〇年一〇月二八日、原告は医師Bの「普通勤務許可する」との診断の下に被告に出社し、被告の産業医Cの診断も同様であった。
 しかるに原告は、面接した当時の総務課長Dに対し、腰が痛いと強調し、運転業務につくことに消極的であった。このため、Dは運転業務は人間を乗せる仕事のため万一を慮り、原告には配車しないよう指示し、よって原告は運転業務はしなかった。
 一か月後の昭和六〇年一一月二八日、Dは原告に面接して様子を聞き、原告はまだ腰が痛いと言ったが、周囲の従業員への配慮もあって原告に対し、同僚運転手の事業所間連絡バス運転の際添乗することを指示した。原告は翌六一年一月八日迄添乗をし、その際運転手がEのとき原告自ら片道を運転したことがあったが、Dには報告がされていなかった。
 (4) また、原告は通院治療のため、昭和六〇年一〇月には出社四日中三日早退、一一月は出社一八日中一四日早退(三日年休)、一二月は出社二〇日中一七日早退(一日年休)、翌六一年一月の一三日に至る迄は出社六日中五日早退という勤務状況であった。
 (5) 原告は前記(2)の病欠中に、被告の給与仮払金制度のために支給額がマイナス計算となったことに疑問をもち、勤労課課長Fに質問したが、納得することができず、今日に至る迄仮払金制度に関して被告に不信の念を抱き続けている。なお、Dは、原告の右の疑問を知らず、原告が前記添乗勤務の際何かわめいていたとの報告を受けたが、それが何についての不満であるかは知らなかった。
 (6) Dは、昭和六一年一月八日原告と面接して病状を確認し、まだ腰痛があるとの返答を得た。
 これらの状況に鑑み、Dは、原告が腰痛を訴える限り原告に乗用車運転業務をさせることができず、かつ原告の二回の事故とその後の経過(とりわけその治療中に保険会社担当者と紛争状態となり暴行事件を起こすなど対人応接に問題があること)やバスに添乗中わめいていたことなどから、原告を人命を預かる乗用車運転手業務には不適格であると判断した。
 (7) ところで、折からの自動車業界は、円高の影響と、日米貿易摩擦の関係での対米自動車輸出の自主規制のために自動車輸出が大幅に減少し、被告においては、販売台数の五割が輸出でしかも北米が対象であったため打撃が大きく、社内の合理化、減量化を迫られる情勢であった。
 ちなみに、被告の昭和六〇年度の生産台数は四五万四〇〇〇台であるが、翌六一年度は三七万七〇〇〇台、更に六二年度は三五万六〇〇〇台へと減少した。
 これに対処するため、被告は大卒以外の新採用停止、臨時工制度の廃止、出向などを実施し、被告全社の従業員数は、昭和六〇年度七四四六名が、翌六一年度には六五八八名、六二年度には五五九二名へと減少した。
 これにつれ、従業員寮も三か所から一か所となって、寮生を送迎する通勤バスは昭和六〇年の五台から翌六一年に四台、六二年に二台となり、六三年四月に全面廃止となった。
 また、役員送迎用乗用車の配車を減じ、その運転担当者を昭和六一年六月一五名から一二名とし、かつ通勤バス及び事業所間連絡バス運転業務担当者は六名から同年一月一名(原告)、同年九月一名計二名を減じた。なお、役員送迎用乗用車運転手から一名通勤バス等運転手に担当替えしたため、乗用車運転手としては昭和六一年一月から同年九月迄の間に二一名から一七名に減員となった。
 (9) 右の減員運転手の配転先は、メール室二名(原告を除く)、補給課二名及び販売店出向一名であった。
 昭和六一年一月当時、メール室は配置人数が少なく補充を必要としていた。
 (10) Dは本件業務変更を課長権限として行ったが、その際原告が運転手であったことに配慮し、原告の健康(腰痛)が回復すれば社用車を運転しての集配業務に就けることを付加した。
 以上の認定に鑑みれば、原告の職種変更自体には若干問題はあるにせよ、被告が原告を元の乗用車運転手の業務に就かせておくことに差し支えがあると判断し、原告の健康管理上の理由と人事管理上及び被告の合理的運営の必要性とから本件業務変更を行なったことが認められ、更にかかる判断をしたことの根拠にも不合理な点はないことが認められる。