全 情 報

ID番号 05347
事件名 仮処分申請事件
いわゆる事件名 神戸製鋼所事件
争点
事案概要  労働者の経歴は使用者の経営秩序の維持および経営遂行との関連において、全人格的判断の一資料となるものであり、最終学歴の詐称は就業規則所定の「重要な前歴」詐称にあたり懲戒処分の対象となるが、本件懲戒解雇は解雇権の濫用にあたるとされた事例。
参照法条 労働基準法2章
労働基準法89条1項9号
民法1条3項
体系項目 懲戒・懲戒解雇 / 懲戒権の濫用
懲戒・懲戒解雇 / 懲戒事由 / 経歴詐称
裁判年月日 1955年4月21日
裁判所名 神戸地
裁判形式 判決
事件番号 昭和30年 (ヨ) 72 
裁判結果 申請認容
出典 労働民例集6巻2号172頁/労経速報172号2頁
審級関係
評釈論文 季刊労働法17号55頁
判決理由 〔懲戒・懲戒解雇-懲戒事由-経歴詐称〕
 一般に使用者が労働者を雇傭するに際しては、当該労働者の知能、教育程度、経験、技能、性格、健康等について全人格的判断をなし、これに基いて採否を、採用の暁は賃金、地位その他労働条件を決定するのであるが、労働者の経歴は使用者の経営秩序の維持及び経営遂行との関連において、右全人格的判断の主要な一資料となるべきものであることは言うまでもない。而して右就業規則第七十一条第五号に所謂「重要な前歴」とは如何なる経歴部分を指すかは、その経歴部分が使用者の労働者に対する前示の如き全人格的判断に重大な影響を与えるものであるか否かによつて決定せらるべきであり、雇傭後に於ける経歴詐称に因る具体的損害の発生如何は右懲戒事由とは直接関連がなく単に懲戒事由による処分に際しての情状判断の一つの資料に止まるものと解される。ところで、申請人は前示の如く最終学歴を偽つたものであるが、学歴中殊に最終学歴は労働者の知能、教育程度を判断するにつき重要な資料となるべき経歴部分であることは、社会通念上疑い得ないところである。従つて、右経歴部分の詐称は使用者の労働者に対する全人格的判断に重大な影響を与えるものと言うべきである。そうすると、最終学歴は同条項にいう「重要な前歴」にあたるので申請人の右詐称行為は同条項に該当するものと言わなければならない。
〔懲戒・懲戒解雇-懲戒権の濫用〕
 申請人は、解雇権の行使に当つては申請人の情状をしやく量すべきであるのにこれを無視してなされた本件解雇は解雇権の濫用であると主張するので考えると、〔中略〕
 就業規則第六十七条には「従業員は本条より第七十三条までの規定による場合の外懲戒を受けることはない。規定違反の程度が軽微であるか特に情状しやく量の余地があるか又は改しゆんの情が明らかであるときは懲戒の程度を軽減し、若しくはその執行を猶予し、又は懲戒を免じ訓戒にとどめることがある。」と定められていることが疏明せられる。同条所定の如き情状の判断は使用者の恣意に委ねらるべきものではなく、使用者は客観的に妥当な判断をなすべき義務を負い、従つて、もし使用者がその判断を誤つて解雇した場合は、右解雇は同条に違反し解雇権の濫用として無効であると言わねばならない。けだし、私企業における使用者の有する解雇権が、資本主義経済機構における、一般に所有権の経営体内部における生産工程上の発現形態である経営権の一つの内容であるところから、解雇権の行使は、結局所有権のそれと同様に、自由であらねばならぬ。しかしながら、所有権の濫用が違法であると同様の理由により解雇権の濫用も亦違法であるといわざるを得ない。されば、かゝる場合の解雇は違法性を帯び無効であるという外はない。そこで本件につき解雇に価する情状の存否につき検討する。
 〔中略〕
 申請人は昭和二十一年六月頃中国より引揚げ、一時和歌山、徳島の親戚に身を寄せたのち大阪で職を求めたが、知合いも保証人もないので容易に職を得ることが出来ず、困惑のあまりせめて中学校を卒えた様に履歴書に書けば多少とも就職に有利であらうと浅慮にも速断して学歴を詐称するに至つたこと、被申請人会社には平工員として雇傭され専ら筋肉労働にのみ従事して来たこと、雇傭後満八年以上勤続しその間勤務上別段の支障がなかつたことが疏明せられ、而も昭和二十一年当時は敗戦直後で社会秩序は混乱し一般に道義意識が低下していたことは公知の事実である。尤も、成立に争のない疏乙第二号証によれば、申請人は本社転勤の際にも雇傭の際と同様の履歴書を提出して学歴を詐称している事実が疏明せられるが、既に被傭後約八年経過した後に於て申請人に解雇の危険を冐してまで自認を期待することは酷に過ぎるものと言わざるを得ず、又、〔中略〕
 被申請人会社は申請人の学歴詐称により過去八年余の間に申請人に対し総額約四万三千二百円の給与過払(本来受けるべき給与の約三・七%過払)をなしたことが疏明せられるが、同号証及び申請人本人訊問の結果によると被申請人会社の給与算出方法は複雑であり申請人は学歴詐称により給与の過払を受けている事実を知らなかつたことが疏明せられる。次に申請人の出勤状況につき〔中略〕
 昭和二十八、九年度二箇年間に於ける申請人の年間平均欠勤日数は一二・五日であり、右は被申請人会社作業員(長期病欠者を除く)の年間平均欠勤日数一〇・八日を一・八日上廻る程度であつて、良好とは言い得ないがさりとて著しく怠惰な出勤状況とも言い得ないものであることが疏明せられ、〔中略〕
 被申請人会社にて昭和二十一年より同三十年に至る間前歴詐称により解雇又は勧告による退職となつた者は総数九十一名(うち学歴詐称による者十三名)であるが、その殆どが入社一年以内に右処分を受けており、申請人の如く八年前の事由に基き処断解雇された事例は全く稀有であることが疏明せられる。
 凡そ前歴詐称行為は、一般道義上からも又企業秩序維持の必要上からも決して看過すべき行為ではないが、不況の今日、給与によつてのみ生計を維持する労働者にとつて解雇はいわばその死命を制する極刑であることを思うとき、前歴詐称行為に対しても解雇権の行使は特に慎重を要することは言うまでもない。
 一般に懲戒処分中解雇は、当該労働者をそれ以下の懲戒処分に附して反省の機会を与えることが無意味であつて、企業秩序維持の必要上当該労働者が企業内に止まることを許す余地が全くない場合に行われるものと解すべきである。而して本件就業規則第六十七条も右の見地から解釈せられるべきところ、前記疏明せられた諸般の情状を対比検討するとき、被申請人会社の企業秩序維持の必要上、申請人が企業内に止まることを許す余地が全くないとは到底言い得ず、被申請人は申請人を解雇より軽い懲戒処分に付するのが相当であると認められる。そうすると、結局本件解雇は同条項の適用を誤つたもので前説示の理由により解雇権の濫用として違法であり無効と言わなければならない。