全 情 報

ID番号 05430
事件名 仮処分申請事件
いわゆる事件名 二国機械工業事件
争点
事案概要  経歴詐称を理由とする懲戒解雇につき、会社の賃金体系を乱す等の具体的企業秩序違反の結果を発生せしめていないとして、権利濫用にあたり無効とされた事例。
参照法条 労働基準法89条1項9号
民法1条3項
体系項目 懲戒・懲戒解雇 / 懲戒権の根拠
懲戒・懲戒解雇 / 懲戒権の濫用
懲戒・懲戒解雇 / 懲戒事由 / 経歴詐称
裁判年月日 1965年12月8日
裁判所名 横浜地
裁判形式 決定
事件番号 昭和40年 (ヨ) 338 
裁判結果 申請一部認容,一部却下
出典 労働民例集16巻6号1057頁
審級関係
評釈論文
判決理由 〔懲戒・懲戒解雇-懲戒権の根拠〕
 本件第一の争点である経歴詐称を理由とする懲戒の合法性につき判断する前に、懲戒そのものの本質、更にその前提として経営秩序について考える。
 資本制社会の企業においては、生産手段を資本とし、労働力の利用を媒介として利潤の追求をなすものであるから、企業主ないし使用者は、労働力の担い手である労働者を雇い入れるとともに、生産手段との関連において労働力の合目的的活動秩序を設定せねばならず、これがすなわち経営秩序であるが、いわゆる企業主ないし使用者の懲戒とは、企業がより多くの利潤を生むのにより効果的に生産手段及び労働力の機能を適応させるよう経営秩序を形成維持するために事実上必然的に要請されるところの、経営秩序違反労働者に対して加えられる制裁であり、企業の統一的利益の侵害という観点からなされる、支配者たる使用者から被支配者たる労働者に対する組織上の責任追及の方法である。
 そして使用者が就業規則を制定して経営秩序を設定し、その違反者を懲戒することは、現実には多数の生産手段の所有権の結合=資本に根ざすところの多数の生産手段と労働力とを単一体に組織化しこれを管理運営する権力としての経営権の実行として行われる。もとより右経営権は、それ自体が生産手段所有権の機能概念であつて、法的概念ではないのであり、経営権の実行がそれ自体として法的許容を得ているわけではないし、経営権が労働力に対して機能するといつても、労働力の担い手である労働者という自由意思主体を対象とするから、直接に支配力を行使することはできない。
 そこで右のような経営権の実行として行われる懲戒の法的根拠につき思うに、個人の自由平等を基本的原理とする近代市民法秩序のもとにおいては、支配者が被支配者に対してなす不利益処分という懲戒の性質上労使間の合意に基づかなければならないことは当然であり、企業において懲戒条項をも含めた就業規則が定められている場合に、労働者は、使用者の就業規則周知義務(労働基準法一〇六条一頃)との関連上、就業規則の内容についてこれを了知する機会を十分与えられているのであるから、使用者の下で黙つて働いている以上就業規則所定の労働条件を肯定したもの、すなわち労使間において就業規則所定の労働条件に従う旨の合意がなされたものというべきである。
〔懲戒・懲戒解雇-懲戒権の濫用〕
〔懲戒・懲戒解雇-懲戒事由-経歴詐称〕
 被申請会社においては前記懲戒解雇規定を含む就業規則が、昭和三九年四月二一日以降同年一二月二六日までの間においても制定施行されていたこと、申請人が右期間中何ら異議なく被申請会社に勤務していたことが認められ、従つて申請人は右就業規則に従う旨被申請会社との間で暗黙の合意をなしていたといえるけれども、右就業規則中経歴詐称に対する制裁を定めた同規則七七条一号に基づく被申請会社の懲戒権の発動も前述のような要件を備える限りにおいて法的に許容されるものと解すべきであるから、申請人がA会社に勤務していたとの経歴詐称自体をもつて、同条同号に該当し、被申請会社の企業秩序をみだしたとして懲戒権を発動し得るとの同会社の主張は採用しえない。
 〔中略〕
 申請人が配置された倉庫課の業務内容は、倉庫内に納められたポンプ、カメラ、八ミリ映写機等の部品等を管理し、会社内の作業場に運搬配布し、外注先に出荷する等であつたこと、申請人は被申請会社に対しA会社に勤務したと詐称した当該二年余の期間、株式会社B会社に製造部管理課検査係として勤務していたものであること、右B会社では、C会社の下請として光学関係器具を製造しており、被申請会社が組み立てている万能投影器の製造も行つていたこと、申請人はB会社においてこれら器具の製作、検査に従事しており旋盤をしたこともあること、従つて申請人は被申請会社において扱われている光学関係の製品または部品について相当の知識経験を有していたことが認められる。
 申請人の配置された倉庫課業務の内容が右認定の如きものである以上、右業務につき賃金額決定の一基準として評価の対象となる経験内容は、申請人のB会社における右認定のような経験内容をもつて一応十分であると認められ、更に本件主張の全趣旨を併せ考えると、申請人の右程度の経験内容をもつて、倉庫課業務についての評価の対象となるべき経験内容の上限とみるのが相当である。
 従つて、被申請会社が申請人を試用及び本採用するに際し、倉庫課業務に相応する賃金額を決定するのに、申請人の詐称経歴を考慮したといつても、該経験は前認定のような申請人の経験程度のものであつたとしか推認せざるを得ない。
 このようにみてくると、申請人のA会社勤務及び同所での測定器類試作従事という経歴詐称行為が、信義則に違背した違法なものであり被申請会社は申請人の右詐称行為により賃金額を決定支払つていたけれども、労働力評価の基準として通常形式的に判断される学歴等と異り、職歴において重要なのは経験内容及び期間であるという点からしても、申請人において被申請会社が本件賃金額決定の一基準とした経験と、その内容及び期間において実質的にほぼ同一の経験を有していた以上、同人に対して被申請会社が賃金の過払をなし、同会社の賃金体系がみだされたとは認め難く、従つて申請人においてこの点の具体的企業秩序違反の結果を生ぜしめたとはいい難いのである。
 五、被申請会社は、申請人が本件経歴詐称の外、従前勤務していたD株式会社に対しても、その職歴を詐称して同会社に入社した前歴を有する者であり、この点をも付加して同人の本件経歴詐称は、被申請会社の信頼関係ないし企業秩序維持上、懲戒解雇に値するものであると主張しており、申請人が右主張のような前歴を有することは疎明があるけれども、前述のとおり労働関係における信頼関係を身分法的な信頼関係と同一視することは正当でなく信頼関係の破壊による企業秩序違反というには、当該労働者の経歴詐称により使用者をしてその者の労働力の価値自体につき不安を抱かしめ、ひいては企業内における秩序ないし労務管理を混乱させた場合でなければならないというべきであるところ、申請人において前認定のような経験を有している事実被申請会社が申請人を本採用したまでの経緯、配置関係等前認定の事実に照らせば、申請人の本件経歴詐称及び右経歴詐称の前歴をもつて被申請会社の信頼関係を企業秩序違反といえる程度にまで破壊したものということはできない。
 六、以上みたように、申請人が本件経歴詐称により具体的な企業秩序違反に結果を生ぜしめたことにつき他に疎明のない本件懲戒権の発動は、その基礎が備わつていないものであり、懲戒処分と企業秩序違反態様との均衡の問題を検討するまでもなく、懲戒権の濫用としてその効力を生じないものといわざるを得ない。