全 情 報

ID番号 06531
事件名 休業補償不支給決定取消請求控訴事件
いわゆる事件名 横浜南労働基準監督署長(東京海上横浜支店)事件
争点
事案概要  自動車運転手の派遣を業とする会社に雇われ、自動車運転の業務に従事していた従業員が、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血で倒れたケースで、その業務起因性の存否が争われた事例。
参照法条 労働基準法75条2項
労働基準法施行規則別表1の2第9号
体系項目 労災補償・労災保険 / 業務上・外認定 / 脳・心疾患等
裁判年月日 1995年5月30日
裁判所名 東京高
裁判形式 判決
事件番号 平成5年 (行コ) 71 
裁判結果 取消,認容
出典 労働判例683号73頁
審級関係 一審/06176/横浜地/平 5. 3.23/平成1年(行ウ)24号
評釈論文
判決理由 〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-脳・心疾患等〕
 労災保険法による保険給付の制度は、使用者の労働者に対する労働基準法上の災害補償義務を政府が保険給付の形式で行うものであるから、被災労働者の疾病が労災保険法による保険給付の対象となるといえるためには、右疾病が労働基準法による災害補償の対象となるものであることを要し、同法による災害補償の対象となる疾病は同法七五条一項所定の業務上の疾病に該当すること、具体的には同条二項、労働基準法施行規則三五条に基づく別表第一の二の各号のいずれかに該当することを要するものというべきである。
 本件において、被控訴人主張に係る本件疾病は右別表第一の二第一号ないし第八号のいずれにも該当しないことが明らかであるから、本件疾病が、労災保険法による保険給付の対象となるといえるためには、右別表第一の二第九号にいう「業務に起因することの明らかな疾病」に該当することを要するものというべきである。
 そして、当該疾病が労働者の従事していた業務に起因して発症したもの(業務起因性)と認めるためには、右業務の遂行が必ずしも当該疾病の唯一の原因ないし競合する原因の中で相対的に有力な原因であることまで必要ではなく、当該労働者の素因や基礎疾患が原因となって発症した場合においては、業務の遂行が労働者にとって精神的又は肉体的に過重な負荷となり、基礎疾患をその自然的経過を超えて急激に増悪させて発症させるなど基礎疾患と共働原因となって当該疾病を発症させたと認められるときには、右疾病を「業務に起因することの明らかな疾病」であると認めるのが相当である。〔中略〕
 被控訴人の業務は、精神的緊張や長時間の拘束をともなう支店長付の車両の運行とそれに付随する作業であり、その勤務は、早朝出庫し、深夜の帰庫に及ぶ場合があり、拘束時間が極めて長いほか、時間外労働時間が非常に長く、昭和五八年一二月以降の一日平均の時間外労働時間が七時間を上回っており、この中には深夜労働時間も含まれているうえ、走行距離も、毎月かなり多く、一日平均の走行距離は、昭和五八年一二月以降の各月において、最低でも昭和五九年五月(一日から一一日)の一二九キロメートル、最高が同年四月の一九二キロメートルであり、また、昭和五九年四月一三日、一四日は、早朝の出庫と深夜の帰庫が続いたものであり、このような勤務が被控訴人に疲労と睡眠不足をもたらしたこと、東管から一人横浜支店に配属され待機中にも気を遣っていたことや休息場所が整備されていなかったことなどの事情が精神的な負担の一因となったことは首肯することができないわけではない。しかし、他方、出勤日数は、日曜日のほか土曜日が毎月二日休日となっており、所定の休日がすべて確保されているため、労働日数が必ずしも多いとはいえないこと、勤務開始から勤務終了までの拘束時間が平均して一二時間を超えているが、被控訴人の職務の性質及び勤務態様に照らすと、(証拠略)に明らかなとおり、拘束時間中勤務開始から勤務終了まで終始継続して運転業務に従事しているわけではないばかりでなく、待機時間中にも洗車やワックスかけをしたことを考慮しても、必ずしも被控訴人の労働密度が特段に高いとは認められず、また、運転にあたっての気遣いは支店長が乗車する自動車の運転という業務の性質を考慮しても自動車の運転に通常ともなう精神的緊張の域を超えて格別な精神的緊張を伴うものであったとは認めがたいうえ、被控訴人は、その血圧が、正常値と高血圧の境界領域にあり(境界型高血圧症)、昭和五七年一〇月当時の血圧が昭和四七年当時のそれと比較して、最高血圧が一二〇から一五六と高くなっており、高血圧症が進行していたが、境界領域にあり治療の必要のない程度のものであり(なお、A鑑定は、被控訴人が、本件疾病発症による入院時から退院時までに受けた投薬によると、本件疾病発症前から中等度の高血圧が存在していたと推測される、とするが、〈証拠略〉によると、被控訴人の入院時の血圧は、最高血圧一四六、最低血圧九二である。)、高血圧を増悪させる因子として、過度の精神的緊張、ストレスの持続があげられていることを考慮しても、高血圧を増悪させる因子として他に年齢、寒冷暴露、栄養摂取の不均衡などがあげられていることに照らすと、被控訴人の業務が被控訴人の高血圧症を自然的経過を超えて増悪させたものとは認め難いばかりでなく、本件疾病が脳動脈瘤の破裂によって発症した蓋然性が高く、高血圧の存在が脳動脈瘤の後天的な発生にかかわるとの見解が存在し、過度の精神的緊張、ストレスの持続が高血圧を増悪させる因子としてあげられていることを考慮しても、被控訴人の脳動脈瘤の発生が先天的なものか後天的なものかは解明されていないうえ、高血圧を増悪させる因子として、他に年齢、寒冷暴露、栄養摂取の不均衡などがあげられていることに照らすと、被控訴人の基礎疾患である脳動脈瘤の発生、増悪に被控訴人の業務が原因となったものと直ちに認めることができるわけではない。加えて、脳動脈瘤は、加齢とともに自然増悪し、血管の脆弱化が進行して、その限界に達した段階で、最後の要因として血圧上昇が加わって破裂に至るものであって、脳動脈瘤の破裂のきっかけとなる高血圧はバルサルバマニューバーをともなう排便、性交、せき等の日常生活上の行為によっても生じるものであり、被控訴人の脳動脈瘤の破裂は、自動車運転業務に限らず日常生活上のあらゆる機会に発生してもおかしくない状態にあったといわざるをえないことが認められるうえ、被控訴人が本件疾病発症前に従事していた業務は、昭和五九年五月一日から発症前日の同月一〇日までに、勤務の終了が午後一二時を過ぎた日が二日、走行距離が二六〇キロメートルを超えた日が二日あったが、同年四月下旬から五月初旬にかけては断続的に六日間の休日があったうえ、本件疾病発症の前日の五月一〇日は、午前五時五〇分に出庫し、同日二〇時に帰庫し、走行距離七六キロメートル、時間外労働時間五時間一〇分で、被控訴人の従前の勤務と比較するとかなり負担の軽い勤務であったものであり、被控訴人の発症直前の業務が格別過重なものであったとはいえず、本件疾病発症の日もこれまで例のない午前四時五〇分の出庫ではあるが、従前からの業務と格別異なる運行に従事したというべきものではないのであって、ことさら被控訴人の業務が過重負荷となって急激な血圧上昇を招いたものとは認め難いといわざるをえない。〔中略〕
 そうすると、被控訴人の本件疾病は、加齢とともに自然増悪した脳動脈瘤破裂が、たまたま被控訴人が従事していた自動車運転業務の遂行過程において発症したものではあるが、脳動脈瘤の発生増悪に自動車運転業務による血圧上昇が共働原因となったとは認め難いうえ、自動車運転業務の遂行が精神的、肉体的に過重負荷となって高血圧症を急激に増悪させて本件疾病を発症させるなど高血圧症と自動車運転業務とが共働原因となって本件疾病が発症したとも認め難いといわざるをえない。