全 情 報

ID番号 06568
事件名 遺族補償年金給付等不支給処分取消請求事件
いわゆる事件名 名古屋南労働基準監督署長(東宝運輸)事件
争点
事案概要  業務従事中に脳動脈瘤が破裂し、くも膜下出血で死亡したセミトレーラー運転手の遺族が、右死亡は業務上であるとして遺族補償を求めた事例。
参照法条 労働者災害補償保険法7条1項1号
労働基準法施行規則別表1の2第9号
労働基準法75条2項
体系項目 労災補償・労災保険 / 業務上・外認定 / 脳・心疾患等
裁判年月日 1995年9月29日
裁判所名 名古屋地
裁判形式 判決
事件番号 平成2年 (行ウ) 3 
裁判結果 認容
出典 タイムズ902号80頁/労働判例684号26頁
審級関係
評釈論文 水野幹男・労働法律旬報1374号13~17頁1995年12月25日
判決理由 〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-脳・心疾患等〕
 労基法七五条二項が業務上の疾病の範囲を命令で定めることにした趣旨は、業務上の疾病に関する相当因果関係は傷害の場合ほどに明確でないため、その点を命令で明らかにしようとしたことにあるのであって、これにより相当因果関係の認められる範囲を拡張したり、制限しようとしたものではないというべきである。また、「その他業務に起因することの明らかな疾病」の認定に関する新認定基準についても、それはあくまで下部行政機関に対する運用のための通達であって、行政の適正、迅速処理のための判定基準を示したものにすぎないから、相当因果関係の存否の判断を直接拘束するものでないことはいうまでもない。
 もっとも、右認定基準が脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する専門家会議の報告に基づき定められたものであるなどの経緯に照らすと、新認定基準は業務起因性について医学的、専門的知見の集約されたものとして、高度の経験則を示したものと理解することができるのであって、本件脳動脈瘤破裂のような脳血管疾患の発症に関する相当因果関係の有無を判断するに当たっては、右専門家会議の報告及び新認定基準の示すところを考慮することの必要性を否定することはできない。
 3 相当因果関係の判断基準について 業務と本件脳動脈瘤破裂のような脳血管疾患等の発症に関する相当因果関係の有無の判断に当たり基礎とされるべき事実と基準については、次のように考えるのが相当である。
 (一) 前記労災補償制度の趣旨から明らかなとおり、業務起因性が認められるためには、業務に内在ないし随伴する危険性が発現したものと認められることが必要であるが、本件脳動脈瘤破裂のような脳血管疾患の発症については、もともと被災労働者に、素因又は動脈硬化等に基づく動脈瘤等の血管病変が存し、それが何らかの原因によって破綻して発症に至るのが通常であると考えられるところ、血管病変等は、医学上、先天的な奇形等を除けば、加齢や日常生活等がその主要な原因であると考えられており、血管病変等の直接の原因となるような特有の業務の存在は認められていない。また、血管病変等が破綻して脳動脈瘤破裂等の脳血管疾患が発症することは、血管病変等が存する場合には常に起こり得る可能性が存するものであり、右脳血管疾患を発症させる危険を本来的に内在する特有の業務も医学上認められていない。
 したがって、こうした脳血管疾患等の発症の相当因果関係を考える場合、まず第一に当該業務がその業務に内在ないし随伴する危険性の発現と認めるに足りる内容を有すること、すなわち当該業務が過重負荷と認められる態様のものであること(以下「業務過重性」という。)が必要であり、そして更に、前記のとおり脳血管疾患の原因としては加齢や日常生活等も考えられ、業務そのものを唯一の原因として発症する場合は稀であり、むしろ複数の原因が競合して発症したと認められる場合が多いことに鑑みると、「相当」因果関係が認められるためには、単に業務が脳血管疾患等の発症の原因となったことが認められるというだけでは足りず、当該業務が加齢その他の原因に比べて相対的に有力な原因と認められることが必要であるというべきである。
 (二) ところで、新認定基準は、その付属のマニュアル等により、業務過重性の判定基準を示しているところであり、新認定基準等に沿って業務過重性を判断することにも一定の合理性のあることは前に述べたとおりである。
 しかし、業務過重性について、新認定基準等が、日常の業務に比して特に過重な肉体的、精神的負荷と客観的に認められる業務でなければならないとした上、客観的とは、「医学的に」「急激で著しい増悪」の要因と認められることをいうのであるから、被災者のみならず、「同僚又は同種労働者」にとっても、特に過重な肉体的、精神的負荷と判断されるものでなければならないとしている点は、結果として相当因果関係の判断に特別の要件を付加することになるものであって採用できない。なぜなら、一般に、因果関係の立証は、「一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りる」(最判昭五〇年一〇月二四日民集二九巻九号一四一七頁参照)と解されていること、とりわけ、医学的な証明を必要要件とすると、精神的、肉体的負荷の一つとされるストレスや疲労の蓄積といったものが高血圧症に及ぼす影響や高血圧症と脳出血の発生機序について、医学的に十分な解明がされているとはいい難い現状においては、被災労働者側に相当因果関係の立証について過度の負担を強いるおそれがあり、ほとんどの場合業務と脳血管疾患等との間の因果関係が否定される結果になりかねないこと、このような結果は、現在の社会の実情に照らし、労災補償制度の趣旨にも合致しないと考えられるからである。また、新認定基準等により業務過重性判断の基準とされる「同僚又は同種労働者」についても、当該被災労働者の年齢、具体的健康状態等を捨象して、基礎疾患、健康等に問題のない労働者を想定しているとすれば、それは、多くの労働者がそれぞれ高血圧その他健康上の問題を抱えながら日常の業務に従事しており、しかも、高齢化に伴いこうした問題を抱える者の比率が高くなるといった社会的現実の存することが認められることを考慮すると、業務過重性の判断の基準を社会通念に反して高度に設定しているものといわざるを得ないものであって、同様に採用できない。
 (三) そして、高血圧症等の基礎疾患を有する労働者の業務過重性の判断に当たっては、それが当該業務に従事することが一般的に許容される程度の基礎疾患を有する労働者であり、これまで格別の支障もなく同業務に従事してきているといった事情が認められる場合には、当該労働者を基準にして、社会通念に従い、業務が労働者にとって自然的経過を超えて基礎疾患を急激に増悪させる危険を生じさせるに足りる程度の過重負荷と認められるか否かにより判断するのが相当である。
 このような過重負荷の存在が認められ、これが原因となって基礎疾患等を増悪させるに至ったことが認められれば、右過重負荷が自然的経過を超えて基礎疾患を増悪させ死傷病等の結果を招来したこと、すなわち業務と結果との間に因果関係の存することが推認されるのみならず、右過重負荷が発症に対し相対的に有力な原因であることも推認され、その結果、基礎疾患が自然的経過をたどって発症するほどに重篤な状況にあったこと、業務外の肉体的、精神的負荷等が原因となって基礎疾患を増悪させたこと、当該労働者が、結果発生の危険性があることを自ら認識しながらこれを秘匿するなどして敢えて業務に従事したこと等の特段の事情について主張立証のない限り、業務と結果との間の相当因果関係を肯定することができるものと解するのが相当である。