全 情 報

ID番号 07019
事件名 地位確認等請求事件
いわゆる事件名 ペンション経営研究所事件
争点
事案概要  使用者が労働者の就労を事前に拒否する意思を明確にしている場合、民法五三六条二項の適用に関しては、履行不能が使用者の責めに帰すべき事由によるものであることを主張立証しなければならず、この要件事実を主張立証するには、その前提として労働者が客観的に就労する意思と能力とを有していることを主張立証することを要するとされた事例。
参照法条 民法536条2項
労働基準法24条1項
体系項目 賃金(民事) / 賃金請求権の発生 / 仕事の不賦与と賃金
裁判年月日 1997年8月26日
裁判所名 東京地
裁判形式 判決
事件番号 平成8年 (ワ) 13398 
裁判結果 一部認容、一部棄却(確定)
出典 労働民例集48巻4号349頁/労働判例734号75頁
審級関係
評釈論文 山川隆一・ジュリスト1138号131~133頁1998年7月15日/水島郁子・民商法雑誌119巻2号141~149頁1998年11月
判決理由 〔賃金-賃金請求権の発生-仕事の不賦与と賃金〕
 2(一) 労働契約に基づく労働者の労務を遂行すべき債務の履行につき、使用者の責めに帰すべき事由によって右債務の履行が不能となったときは、労働者は、現実には労務を遂行していないが、賃金の支払を請求することができる(民法五三六条二項)。そして、使用者が労働者の就労を事前に拒否する意思を明確にしているときも、労働者の労務を遂行すべき債務は履行不能となるというべきであるが、労働者は、同項の適用を受けるためには、右の場合であっても、それが使用者の責めに帰すべき事由によるものであることを主張立証しなければならず、この要件事実を主張立証するには、その前提として、労働者が客観的に就労する意思と能力とを有していることを主張立証することを要するものと解するのが相当である。
 すなわち、まず、使用者が労働者の就労を事前に拒否する意思を明確にすることにより労働者の労務を遂行すべき債務が履行不能となる点について述べると、労働者が労務を遂行する債務を履行する旨提供したのに、使用者が受領を拒絶した場合には、労務を遂行するには使用者がこれを受領することが不可欠であり、かつ、労務遂行の単位となる一定の時間的幅ごとに当該債務の履行が可能か不能かが決まり、労務を遂行することができないまま過ぎ去った時間について後から労務遂行の債務を履行することはできないという、労務を遂行する債務の性質に照らせば、使用者が受領を拒絶することにより、労働者が労務を遂行することは不可能となるといえるから、労働者の債務は、右受領拒絶の時点で履行不能になるものと解するのが相当である。そうすると、使用者が労働者の就労を事前に拒否する意思を明確にしているため、労働者が労務を遂行する債務を履行することが不可能であることがあらかじめ明らかであるときには、労働者が労務を遂行する債務を履行する旨提供しなくても、労働者の債務は、右受領拒否の時点で履行不能になるものと解するのが相当である。これが期間の定めのない労働契約のように、継続的に労務を遂行する債務である場合には、右履行不能の状態は、使用者が労働者に対して右受領拒絶の意思を撤回する旨の意思表示をするまで時の経過とともに続くものというべきである。
 次に、労働者が客観的に就労する意思と能力とを有していることが民法五三六条二項適用の要件事実となる点について述べると、同項の文理、趣旨からすれば、労働者が使用者に対し就労する意思を有することを告げて(言語上ではあっても)労務の提供をすることは、同項適用の要件とはならないが、他方、同項の適用を主張する労働者は、使用者の責めに帰すべき事由によって債務の履行が不能となったことを主張立証しなければならず、そのためには、その前提として、自らが客観的に就労する意思と能力とを有していなければならないから、この事実をも主張立証しなければならないものと解するのが相当である。
 なお、使用者が解雇の意思表示をした場合において、労働者が解雇が無効であるとしてその効力を争って賃金請求をするときには、自らが客観的に就労する意思と能力とを有していることも要件事実の一つとして主張立証すべきであり(いわゆる「労働者による解雇の承認」の主張は、合意解約又は信義則違反の抗弁に当たる場合のほか、労働者が客観的に就労する意思と能力とを有しているとの主張事実に対する積極否認に当たる場合があることとなろう。)、他方、労働者が解雇の効力をあえて争わず、労働契約は終了させるが、違法な解雇であるとして不法行為による損害賠償請求をするときには、労働者が客観的に就労する意思と能力とを有しているとの点は、当然のことながら要件事実とはならないことになる。このように、労働者が客観的に就労する意思と能力とを有しているとの事実は、使用者が解雇の意思表示をすることにより労務を受領拒絶した場合に、労働者がいかなる法規範に基づく請求権を行使するかの分水嶺としての意味を有することになる。〔中略〕
 被告は、業績が悪く、出向していた間の平成七年八月分及び九月分の賃金すら原告に支払えない状態であり、原告に対し、被告を退職した上で代理店等を営む等の提携関係を持つよう勧めており、原告に、被告の従業員として職務を遂行してもらうことは考えていなかったので、原告に対し、被告において従事すべき職務を指示するということは全くなかったのであって、これらによれば、被告は、同年一〇月一日の時点で、原告の就労を拒絶する意思を有していたものということができ、その理由も、被告には原告に対して賃金を支払う資力又はその意思がないというほかないから、平成七年一〇月一日の時点で原告が客観的に就労する意思と能力とを有していたことが主張立証されるのであれば、被告の受領拒絶はその責めに帰すべき事由によるものということができよう。しかし、他方、原告も、右賃金が未払いのままであるため、同年一〇月一日以降、一箇月に二回程度被告に赴く等してその支払を請求することはあったが、被告を退職した上で代理店等を営む等の提携関係を持つよう被告が提案してきても、右未払賃金の支払いが先決問題であるとの姿勢を終始一貫して崩さなかったものの、これも被告において就労することをあくまでも求めるという趣旨からのものではなかったため、原告は、右提案を即座に拒否するという挙に出たわけではないし、就労する意志があることを告げて自己の従事すべき職務について指示を求めるということも全くしなかったのであって、実際には株式会社Aにおいて業務の引継ぎその他の残務整理に従事していたものである。結局、原告本人の供述をもってしても原告に就労する意思があったことを認めるに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はないのであって、かえって、右の事実に基づいて考えると、原告は、平成七年一〇月ころは、前記未払賃金が支払われない限り、被告に出社して就労しない意思であったことがうかがわれるところである。原告の就労の意思を証拠上認定し得るのは、後述するように、原告の代理人鈴木繁夫弁護士が、被告に対し、平成八年五月二〇日到達の内容証明郵便で原告が就労できるよう指示を与えることを求めた時点が初めてであるということができる。
 3 そうすると、原被告間の本件労働契約関係は平成七年一〇月一日以降も存続していたが、平成七年一〇月分ないし一二月分及び平成八年一月一日から同月二四日までの間の賃金支払請求については、原告の賃金債権の発生根拠事実を認めることができないから、理由なきものといわざるを得ない。