全 情 報

ID番号 07592
事件名 遺族補償給付等不支給処分取消請求控訴事件
いわゆる事件名 中央労基署長・永井製本事件
争点
事案概要  製本業を営む事業主Yで唯一の断裁工として三五年間勤務し、断裁作業開始約一時間半後にトイレ内で心肺停止状態で倒れ、搬送後の病院で数時間後にくも膜下出血の発症を原因として死亡したA(当時五三歳)の妻Xが、中央労働基準監督署長Yに対し労災保険法による遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したが不支給処分を受けたため、本件発症は業務起因性があるとして処分の取消しを求めたケースの控訴審で、一審の結論と同様に、死亡一八日前に業務の多忙によりAの負担が高まっていたといえるとしても、これが超過負荷としてAに自然経過を超えて急激に本件発症をもたらしたとみることは合理的根拠がなく相当ではないとしたうえで、Aに発症日朝には既に脳動脈瘤などの血管病変が形成され、それ以前にも脳動脈瘤の異常膨張による頭痛やくも膜下出血の前兆候症状と考えられる二度の頭痛を経験し、発症日朝には身体の不調を感じ、その時点で安静を保ち医療機関の診療を受ける必要があったが、会社繁忙の折から休暇を取得することができず、勤務せざるを得なかった状態の下で業務に就いたことにより、血管病変が自然経過を超えて急激に増悪し、本件発症をもたらしたと認めるのが相当であるとし、同発症は業務に内在する危険が現実化してものであるとして業務起因性を肯定し、本件処分を違法として、Yの控訴が棄却された事例。
参照法条 労働者災害補償保険法7条1項1号
労働基準法79条
労働基準法施行規則別表1の2第9号
体系項目 労災補償・労災保険 / 業務上・外認定 / 脳・心疾患等
裁判年月日 2000年8月9日
裁判所名 東京高
裁判形式 判決
事件番号 平成11年 (行コ) 204 
裁判結果 棄却(上告)
出典 労働判例797号41頁
審級関係 一審/07372/東京地/平11. 8.11/平成6年(行ウ)76号
評釈論文
判決理由 〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-脳・心疾患等〕
 くも膜下出血は、その原因が脳動脈瘤破裂と脳内出血の脳室への穿破のいずれにあったとしても、その発症の基礎となる血管病変等が加齢や高血圧等の生活上の諸種の要因(危険因子)の集積により増悪し発症するものであり、業務に特有の疾病ではないから、業務とくも膜下出血との間に相当因果関係があるというためには、その業務にくも膜下出血の発症を自然経過を超えて著しく促進させる過重負荷が存在していたと認められることが不可欠であり、業務上の過重負荷とくも膜下出血の発症をもたらす他の要因とが競合している場合には、客観的にみて業務上の過重負荷が中心的若しくは有力な原因をなしていることが必要である。なぜなら労災保険は労働基準法が定める使用者の災害補償責任を担保するための制度であり、労働者の加齢や高血圧等といった一般生活上の諸種の要因がたまたま労務提供の機会に増悪して発症したにすぎないような場合にまで保険給付をすることは右保険制度の趣旨及び目的を逸脱するものといわなければならず、客観的にみて業務上の過重負荷が中心的若しくは有力な原因をなしている場合に初めて業務に内在する危険が現実化したものとして一般生活上の要因によって発症した場合と区別することができるからである。したがって、業務と死亡との間に合理的関連性があることをもって業務上の死亡であるとする被控訴人の主張は採用することができない。
 もっとも、業務が労働者の疾病を自然経過を超えて著しく促進させるものと認められない場合であっても、労働者の疾病が客観的にみて安静を要するような状況にあるにもかかわらず労働者において休暇の取得その他安静を保つための方法を講じることができず引き続き業務に従事しなければならないような事情が認められるときは、そのこと自体が業務に内在する危険であるということができるから、右事情の下に業務に従事した結果労働者の疾病が自然経過を超えて著しく増悪したときはこれを業務に起因するものというべきである。〔中略〕
〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-脳・心疾患等〕
 くも膜下出血発症の機序にはなお未解明の部分があり、くも膜下出血の発症の危険因子を単に高血圧だけに求めることで説明しきれないことは、日常的に高血圧を示していない者についても脳動脈瘤が形成されることがあること(前記事実、〈証拠略〉)や前記認定の事実から明らかであり、生体が受ける諸種のストレスもまた危険因子として否定することができず、年末の繁忙期を迎えて残業が続いていたAの業務がストレスとなって同人の脳動脈瘤内圧の上昇をもたらした可能性は当審B意見書及びC意見書が指摘するところである。
 8 以上を総合すると、11月10日から同月27日までの業務が多忙であってAの負担が高まっていたといえるにしても、これが過重負荷としてAに自然経過を超えて急激にくも膜下出血の発症をもたらしたとみることは合理的な根拠がなく相当でない。しかし、前記のとおり、Aは死亡10日前ころ右目上部の頭痛を被控訴人に訴えているほか、死亡の2日前と当日にも同僚等に頭痛等の身体的変調を訴えていることが認められるところ、これらは脳動脈瘤の異常膨張による頭痛である可能性が強く(当審窪倉意見書)、くも膜下出血の前徴候症状と考えられる(当審正和意見書)。そこで、前記2後段説示の見地から、このような症状が発現しているにもかかわらずAが業務に従事したことをもって業務に内在する危険が現実化したものとして業務起因性を是認することができるか否かについて更に検討する必要がある。〔中略〕
〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-脳・心疾患等〕
 例年11月半ばから12月にかけては会社が最も繁忙な時期に当たり、会社の処理能力を超える断裁作業を外注に出して対処していたような状態であり、この時期はほかの会社も同様に繁忙であったことが窺われるから、そのような時期にAが突然休暇を取得したときは会社全体の作業の段取りに大きな支障を来すことが懸念される状況にあったことが認められ、またAがくも膜下出血を発症した昭和62年11月28日は最も多量かつ負担の大きいD誌新年号の断裁を目前に控えている時期であったから、ほかに断裁工がいないことを承知しているAとしては、たとえ身体の不調を理由とするものであってもこのような時期に休暇を取ることは容易にできるものではなく、同人が休暇を取得することは因難であったということができる。このような状況の下で、Aは本件発症日の朝に首筋がゴキュンゴキュンする身体の不調を覚えたが、仕事を休むよう勧める被控訴人の言葉を振り切り、「今休むわけにはいかない。休むと怒られる。」と言って出勤し、午前9時30分ころ作業を終えてトイレに立った後、トイレ内でくも膜下出血を起こして死亡するに至った。
 右のような経過に照らすと、Aは、昭和62年11月28日朝の時点で既に脳動脈瘤等の血管病変が形成されており、それ以前に脳動脈瘤の異常膨張による頭痛あるいはくも膜下出血の前徴候症状と考えられる二度の頭痛を経験していた上、同月27日は午後9時過ぎまで残業しその翌朝右のような身体の不調を感じていたのであるから、その時点で直ちに安静を保ち医療機関の診療を受ける必要があったが、会社繁忙の折から休暇を取得することができず、会社に出勤して勤務せざるを得なかったものである。そして、そのような状態の下で業務に就いた結果、Aの血管病変が自然経過を超えて急激に増悪しくも膜下出血の発症をもたらしたと認めるのが相当である。したがって、Aのくも膜下出血発症は右業務に内在する危険が現実化したものというべきである。
 三 そうすると、Aの死亡原因となったくも膜下出血と業務との間には相当因果関係があり、Aは業務上くも膜下出血を発症して死亡したものというべきである。