全 情 報

ID番号 07769
事件名 遺族補償年金不支給処分取消請求事件
いわゆる事件名 豊田労基署長(トヨタ自動車)事件
争点
事案概要  自動車会社Aの車両設計課係長として勤務していたB(当時三五歳)が、従前から恒常的な時間外労働や残業規制による過密労働により疲労が蓄積していたうえに、二車種の改良設計の期限が重なったことでさらに業務が加重し、さらに組合の職場委員長への就任、開発プロジェクトの作業日程調整、南アフリカ共和国への出張命令等によって強い心身的負担を受けていたところ、飛降り自殺により死亡したため、Bの妻Xが豊田労基署長Yに対し、Bの自殺は業務に起因するうつ病によるものであるとして労災保険法に基づく遺族補償年金及び葬祭料の支給請求を行ったところ、Yにより不支給処分とされたことから、右処分の取消を請求したケースで、事故前三ヶ月間のBの言動等及び医証によれば、Bは一ヶ月前頃にうつ病に罹患し、うつ病による心身耗弱状態の下で自殺をし、AにおけるBの業務が本件うつ病発症の要因の一つとなっていたことが認められるとしたうえで、Aにおける加重、過密な業務等による心身的負荷は少なくともBにとっては社会通念上、うつ病を発症させる一定程度以上の危険性を有するものであったと認められるから、業務と本件うつ病の発症との間には相当因果関係を肯定でき、本件自殺は本件うつ病の症状として発現したものであるから、労災保険法一二条の二の二第一項の「故意」に該当しないものであるとして、本件うつ病とそれに基づく本件自殺の業務起因性が認められ、Xの請求が認容された事例。
参照法条 労働者災害補償保険法12条の8第1項4号
労働者災害補償保険法7条1項1号
労働者災害補償保険法12条の2の2第1項
労働基準法79条
労働基準法施行規則別表1の2第9号
体系項目 労災補償・労災保険 / 業務上・外認定 / 自殺
労災補償・労災保険 / 業務上・外認定 / 業務起因性
裁判年月日 2001年6月18日
裁判所名 名古屋地
裁判形式 判決
事件番号 平成7年 (行ウ) 11 
裁判結果 認容(控訴)
出典 時報1769号117頁/労働判例814号64頁
審級関係
評釈論文 ・労政時報3505号72~73頁2001年9月7日/玉木一成・労働法学研究会報52巻26号1~31頁2001年9月20日/山口浩一郎・月刊ろうさい53巻5号4~8頁2002年5月/水野幹男・労働法律旬報1515号26~30頁2001年11月10日/青山武憲・法令ニュース37巻5号21~25頁2002年5月/石井保雄・労働法律旬報1537号46~49頁2002年10月10日
判決理由 〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-業務起因性〕
 労基法及び労災保険法による労働者災害補償制度の趣旨は、労働に伴う災害が生じる危険性を有する業務に従事する労働者について、その業務に内在ないし通常随伴する危険が発現して労働災害を生じた場合に、使用者の過失の有無にかかわらず、被災労働者の損害を補填するとともに、被災労働者及びその遺族の生活を補償するところに求められるところ、このような労基法及び労災保険法の制度趣旨に照らせば、業務と傷病等との間に業務起因性があるというためには、単に当該業務と傷病等との間に条件関係が存在するのみならず、社会通念上、業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化として死傷病等が発生したと法的に評価されること、すなわち相当因果関係の存在が必要であると解するのが相当であり、この理は、上記「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するか否かの判断においても異なるところはないというべきである。〔中略〕
 業務災害に関する遺族補償及び葬祭料の各給付は、労基法79条、80条に規定する事由が生じた場合に、補償を受けようとする遺族又は葬祭を行う者の請求に基づいて行われるところ(労災保険法12条の8第2項)、同請求は、労働基準監督署長に対し、請求を裏付けるに足りる所定の事項を記載した請求書に、これを証明することができる書面を添付してしなければならないとされている(施行規則13条1項、2項)ことからすると、遺族補償及び葬祭料の各給付を受けようとする遺族あるいは葬祭を行う者は、同請求にかかる各給付について、自己に受給資格があることを証明する責任があるというべきである。すなわち、業務起因性の立証責任は、同請求をした同遺族ないし葬祭を行う者にあると解するのが相当である。〔中略〕
〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-自殺〕
 非災害性の疾病のうちでも精神疾患は、当該労働者の従事していた業務とは直接関係のない基礎疾患、当該労働者の性格傾向及び生活歴等の個体側の要因、その他環境的要因等が複合的、相乗的に影響し合って発症に至ることもあるから、当該業務と精神疾患の発症との間に相当因果関係が肯定されるためには、単に業務が他の原因と共働原因となって精神疾患を発症させたと認められるだけでは足りず(したがって、原告主張の共働原因論は採用できない。)、当該業務自体に、社会通念上、当該精神疾患を発症させる一定程度以上の危険性が存することが必要であると解するのが相当である。〔中略〕
 法的概念としての因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りる(最高裁昭和50年10月24日判決・民集29巻9号1417頁参照)のであるから、業務とうつ病の発症との間の相当因果関係を判断するに当たっても、発症前の業務内容及び生活状況並びにこれらが労働者に与える心身的負荷の有無、程度、さらには当該労働者の基礎疾患等の身体的要因や、うつ病に親和的な性格等の個体側の要因等を具体的かつ総合的に判断した上、これをうつ病の発症・増悪の要因等に関する医学的知見に照らし、社会通念上、当該業務が労働者の心身に過重な負荷を与える態様のものであり、これによって当該業務にうつ病を発症させる一定程度以上の危険性が存在するものと認められる場合に、当該業務とうつ病との間の相当因果関係を肯定するのが相当である。〔中略〕
  確かに、業務上の心身的負荷の強度は、同種の労働者を基準にして客観的に判断する必要があるが、企業に雇用される労働者の性格傾向が多様なものであることはいうまでもないところ、前記「被災労働者の損害を補填するとともに、被災労働者及びその遺族の生活を保障する」との労災補償制度の趣旨に鑑みれば、同種労働者(職種、職場における地位や年齢、経験等が類似する者で、業務の軽減措置を受けることなく日常業務を遂行できる健康状態にある者)の中でその性格傾向が最も脆弱である者(ただし、同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲内の者)を基準とするのが相当である。したがって、被告の主張並びに専門検討会報告書及び判断指針の見解は採用することができない。〔中略〕
 そして、前記認定のとおり、Bにはこれまでの生活史を通じて社会適応状況に特別の問題はなく、うつ病親和的な性格ではあったが、正常人の通常の範囲を逸脱しているものではなく、模範的で優秀な技術者であったのであるから、Bの性格傾向は、同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでなかったと認められる。
 そうすると、本件においては、Bを基準として、当該業務がうつ病を発症させる危険性があったか否かを判断すればよいことになる。
 イ 労災保険法12条の2の2第1項は、労働者の故意による事故を労災保険の給付の対象から除外しているが、労災保険法が業務に起因する災害に対して労災保険給付を行おうとする趣旨に鑑みれば、同規定が故意による事故を除外した趣旨は、業務と関わりのない労働者の自由な意思によって発生した事故は業務との因果関係が中断される結果、業務起因性がないことを確認的に示したものと解するのが相当である。したがって、自殺行為のように外形的に労働者の意思的行為と見られる行為によって事故が発生した場合であっても、その行為が業務に起因して発生したうつ病の症状として発現したと認められる場合には、労働者の自由な意思に基づく行為とはいえないから、同規定にいう故意には該当しないものと解される。
 そして、前記認定のとおり、判断指針は、業務による心理的負荷により精神障害が発病したと認められる者が自殺を図った場合には、精神障害によって正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定し、原則として業務起因性を認めるものとしているが、当裁判所もこの考え方は妥当なものと判断する。〔中略〕
総合考慮すれば、本件においては、業務外の要因による心身的負荷はさほど強度のものとは認められず、Bの本件うつ病は、上記の加重、過密な業務及び職場委員長への就任内定による心身的負荷とBのうつ病親和的な性格傾向が相乗的に影響し合って発症したものであり、さらにその後の開発プロジェクトの作業日程調整及び本件出張命令が本件うつ病を急激に悪化させ、Bは、本件うつ病による希死念慮の下に発作的に自殺したものと認めるのが相当である。
 要するに、上記の加重、過密な業務等による心身的負荷は、少なくともBにとっては、社会通念上、うつ病を発症させる一定程度以上の危険性を有するものであったと認められるから、〔中略〕業務と本件うつ病の発症との間には相当因果関係を肯定することができる。
 そして、本件自殺は、本件うつ病の症状として発現したものであるから、労災保険法12条の2の2第1項の「故意」には該当しないものである。