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ID番号 : 08575
事件名 : 遺族補償給付不支給決定取消請求事件
いわゆる事件名 : 国・八王子労基署長(パシフィックコンサルタンツ)事件
争点 : 海外単身赴任中の建築施工監理者の自殺につき妻が遺族補償給付を求めた事案(労働者側勝訴)
事案概要 : 建築コンサルタント会社の従業員が、セントヴィンセントに単身赴任中うつ病を発症して自殺したことにつき、その妻が労働基準監督署長の行った遺族補償給付不支給処分の取消しを求めた事案である。 東京地裁は、精神疾患の発症・増悪が業務上のものと認められるためには、平均的な労働者を基準として、労働時間、業務の質、責任の程度などが過重であったために、精神疾患が発症・増悪する程度に心理的負荷が加えられたかどうかによって判断すべきであり、また業務に起因して自殺に至った場合には、労災保険法12条の2の2第1項にいう故意の死亡には当たらず、労災保険給付が行われるとした。 その上で、不慣れな生活環境や労働環境の中で、在留期間の延長許可が得られないことや政府関係者とのトラブルなどによる心理的負荷を受け続け、自殺前の1か月間の時間外労働数も月100時間を超えていたなどの事実関係のもとでは、うつ病の発症及び自殺は業務に内在する危険が現実化したものであるとして、労災と認定し、遺族補償給付を認めた。
参照法条 : 労働者災害補償保険法7条
労働者災害補償保険法12条の2
労働者災害補償保険法16条
体系項目 : 労災補償・労災保険/業務上・外認定/自殺
労災補償・労災保険/補償内容・保険給付/遺族補償(給付)
裁判年月日 : 2007年5月24日
裁判所名 : 東京地
裁判形式 : 判決
事件番号 : 平成17行(ウ)352
裁判結果 : 認容(確定)
出典 : 時報1976号131頁
タイムズ1261号198頁
労働判例945号5頁
審級関係 :
評釈論文 : 長谷川俊明・国際商事法務35巻11号1484頁2007年11月
判決理由 : 〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-自殺〕
〔労災補償・労災保険-補償内容・保険給付-遺族補償(給付)〕
3(1) 以上の事実を前提にして、まず、亡P1の自殺の原因及び業務との条件関係について判断する。前提事実(第2の1)(1)のとおり、亡P1がうつ病を発症し自殺に至ったことは、当事者間に争いがない。 (2) 2(11)に認定のとおり、亡P1は、8月下旬以降、原告あてのメール中で、業務上の悩みや、気分の落ち込みについて記載することが多くなり、9月中旬ころのメールでは、疲労感、桟橋設計や在留資格が切れている状態となっていることに対する罪責感を訴えるようになり、9月26日付けメールで気分の落ち込みを明確に伝えている。また、亡P1は、同月23日ころからは遺書を書き始めている。疲労感、罪責感、気分の落ち込みといった症状は、うつ病の初期症状として広く知られているところであるが、証拠(証人P12)によれば、うつ病の発症から希死願望が発現するまでには数日から数週間かかることが通常であると認められることからすれば、亡P1は、9月初旬から遅くとも中旬にかけてうつ病を発症して、症状を急速に悪化させ、自殺に至ったと認められる。 (3) 亡P1には、従前、精神疾患の病歴はなく、そのうつ病の発症が亡P1が服用していた薬など、精神作用物質や器質性精神障害によるものと認めるに足りる証拠もない。証拠(乙21、23)によれば、亡P1の母親は、うつ病を発症していたと認められるが、これも老人性のものにすぎない。そして、証拠上、亡P1に私生活上のトラブルといった職場以外の事情による心労が生じていたとも認められない一方で2(11)、(12)のとおり、亡P1は、在留資格や桟橋設計といった業務上の問題についての悩みを原告に書き送 り、遺書中にも、同様、業務上の問題のみ記載されていたことからすれば、亡P1がうつ病を発症した原因として業務以外の原因を考えることはできない。 以上により、亡P1は、業務上の心理的負荷が原因でうつ病を発症したものであることは明らかであり、亡P1の業務とうつ病の発症・増悪及び自殺との間には条件関係が認められる。 4 そこで、進んで、亡P1の業務が平均的労働者に較べ特段過重なものであったかどうかを検討し、業務と亡P1のうつ病発症及び自殺との間の相当因果関係の有無を判断する。 〔中略〕 (3) 以上のとおり、亡P1は、4月にセントヴィンセントに赴任したのであるが、カリブ海の小国に単身赴任し、かつ、一人の事務所での勤務であり、そのこと自体一般的に心理的負荷は軽くない上、在留資格の延長許可がうまく受けられなかったばかりか、その結果、頻繁に在留資格が切れる状態に陥っており、その状態は、亡P1が自殺するまで解決せず、自殺の直前にも同様の状態に陥っている。その労働環境や生活環境が十分な休息や息抜きをし得る環境でもない中で、海外赴任の基礎となる在留資格の問題が継続して生じていたこと自体、過大な心理的負荷となり得るものと解されるが、亡P1はそのような問題に頭を悩ませ続けていた7月下旬には、ドミニカ国に出張した際、入国目的を偽ったとして逮捕すると政府関係者から言われたのであるから、その心理的負荷が極めて強かったことは明らかである。さらに、亡P1は、9月に入ると、再度、単身赴任の状態となり、労働時間も著しく増 加する中、セントヴィンセントでの常駐要員の滞在期間に関する方針が変更されるなど、亡P1にとって心理的負荷となり得る事態が立て続けに生じている。〔中略〕 9月以降、原告の帰国による単身赴任の再開、労働時間の増加、今後の滞在方針の急遽変更及びそのことに伴うPCIから亡 P1への連絡不足といった亡P1にとって心理的負荷となり得る出来事が立て続けに生じたことが、亡P1に多大な負担となったであろうことは容易に推測できる。業務で海外出張中、在留資格が切れることや、許可なく港湾の調査をしたとして逮捕を要請したと告げられることは、海外出張に慣れた労働者にとっても、まれにしか経験しない異常な出来事というほかなく、亡P1の生活環境や労働環境が、十分な息抜きや気分転換がうまくできる環境であったとも解されないことからすれば、亡P1が経験した上記の各事象は、いずれも平均的労働者にとっても過度の心理的負荷となり得るものであったと解される。 〔中略〕 以上に照らせば、亡P1に生じた前記の出来事は、通常の勤務に就くことが期待されている平均的な労働者にとっても、社会通念上、精神疾患を発症・増悪させる程度の危険を有するものであり、亡P1のうつ病の発症・増悪及び自殺に至る一連の過程は、これらの業務に内在する危険が現実化したものというべきである。〔中略〕 カ以上のとおり、亡P1には、自殺直前6か月の間でみて、上記のように心理的負荷となり得る出来事が複数生じている。本件判断指針は、心理的負荷の強度が「Ⅲ」と評価され、かつ、別表1の(3)の欄による評価が相当程度過重であると認められるときや、心理的負荷の強度が「Ⅱ」と評価され、かつ、別表1の(3)の欄による評価が特に過重であると認められるときは、その心理的負荷が「客観的に精神障害を発病させるおそれのある程度の心理的負荷」として総合評価を「強」とし、その者に業務による心理的負荷以外に特段の心理的負荷、個体側要因が認められない場合には、業務起因性があると判断すると定めている(1(3))。亡P1には、自殺前6か月間に職場以外で心理的負荷となり得る出来事はなく、精神疾患の発病について個体側の要因は認められない。そして、亡P1が体験した出来事のうち、セントヴィンセントへの赴任(これに付随して発生した在留資格の問題を含む。)は、心理的負荷の強度「Ⅱ」と評価され、別表1の(3)の欄による評価は「特に過重」であり、ドミニカ国でのトラブルは、心理的負荷の強度「Ⅲ」と評価され、別表1の(3)の欄による評価も「相当程度過重」というべきであるから、総合評価は「強」であり、原告の主張のように複合的に検討するのではなく、個別にみても、亡P1の自殺には業務起因性が認められるべきである。 また、オのセントヴィンセントでの常駐要員の変更の問題は、本件判断指針上は、それのみでは、総合評価が「強」とされる出来事ではないが、セントヴィンセントへの赴任、ドミニカ国でのトラブルといった、それのみで総合評価が「強」とされる出来事が解決しない間、又は、その出来事が生じて比較的短期間の間に生じた問題であり、前記P12医師の見解によれば、これを上方に修正して評価する余地もある出来事である。 そして、さらに、亡P1には、9月以降、労働時間の長時間化、原告の帰国による再度の単身赴任と、新たに心理的負荷となり得る出来事も発生していたのであるから、本件判断指針によったとしても、亡P1が9月初旬ころから遅くとも中旬ころにかけてうつ病を発症し、その症状を急速に悪化させたことについて、業務起因性が認められるべきことは明らかである。 5 以上によれば、亡P1の自殺につき業務起因性を否定した本件処分には誤りがあるというほかないから、本件処分は取り消されるべきである。