全 情 報

ID番号 : 08655
事件名 : 地位確認等請求事件
いわゆる事件名 : 日産センチュリー証券事件
争点 : 情報漏洩を理由に懲戒解雇された証券会社社員が地位確認と未払賃金の支払等を請求した事案(労働者勝訴)
事案概要 : 営業日誌の写しを取って保管を続けたことが懲戒事由(情報の漏洩)に該当するとして懲戒解雇された証券会社Yの社員Xが労働契約上の地位確認と未払賃金の支払等を請求した事案である。 東京地裁は、営業日誌における訪問場所と顧客名の記載は、個々の顧客の特定を容易ならしめる記載であることは間違いないから、就業規則で漏洩を禁止する取引先の機密又は従業員服務規程上の職務上知り得た秘密に当たると認められるとする一方で、写しを自宅に持ち帰った行為は第三者に開示したと同等の危険にさらしたとまではいえず、写しを弁護士にファックス送信した行為は守秘義務を負う弁護士を介して外部に流出する可能性は極めて低いこと、また写しを東京都労働委員会に提出した行為はそれ自体が撤回されたこと、などから漏洩行為があったということはできないとした。その上で、本件懲戒解雇は解雇権の濫用に当たり無効であるとし、Xの請求を認容した。
参照法条 : 労働基準法2章
体系項目 : 懲戒・懲戒解雇/懲戒事由/情報漏洩
裁判年月日 : 2007年3月9日
裁判所名 : 東京地
裁判形式 : 判決
事件番号 : 平成18(ワ)650
裁判結果 : 一部認容、一部却下(控訴)
出典 : 労働判例938号14頁
労経速報1969号3頁
審級関係 :
評釈論文 : 木村貴弘・経営法曹155号30~46頁2007年12月
判決理由 : 〔懲戒・懲戒解雇-懲戒事由-情報漏洩〕
個々の顧客を特定しうる可能性のある記載は、訪問場所と顧客名の記載であるが、これだけで特定しうるとはいえないものの、特定を容易ならしめる記載であることは間違いなく、少なくともこれを社外に持ち出すことは全く予定されていない情報ということができるから、被告が就業規則で「洩らし」又は「洩らそうと」することを禁止している「取引先の機密」(87条3号、36条)、従業員服務規程で「洩らし」又は「漏洩」することを禁止している「職務上知り得た秘密」(6条、23条1項16号)には当たると認めるのが相当である。〔中略〕
  なお、被告は、営業日誌の記載は、個人情報保護法の「個人情報」及び「個人データ」(2条4項)にも該当すると主張する。同法によれば、まず、「個人情報」は、生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)をいうと定義されているところ(2条1項)、営業日誌の記載事項は上記のとおりであり、氏名は記載されているものの、住所、電話番号等が記載されているわけでもなく、電話だけの取引の場合には「場所」も記載されないことに照らすと、これだけの記載内容から特定の個人を識別できるとは認められないから、これに該当するとはいえない〔中略〕
同法によれば、「個人データ」は、個人情報データベース等を構成する個人情報をいい(同法2条4項)、「個人情報データベース」等とは、個人情報を含む情報の集合物であって、特定の個人情報を電子計算機を用いて検索することができるように体系的に構成したもの及び特定の個人情報を容易に検索することができるように体系的に構成したものとして政令で定めるものをいう(同条2項)とされており、そもそも個人情報でないものが個人データとならないことは同条の文言上明らかである。〔中略〕
被告は、物理的に被告の管理する施設外に持ち出しており、それだけで「洩らし」又は「洩らそうとし」たといえると主張するが、「洩らし」又は「洩らそうとし」たといえるためには、第三者に対して開示する意思で、第三者に対して開示したのと同等の危険にさらすか又はさらそうとしなければならないと解されるところ、原告本人尋問の結果によれば、原告は、本店営業部第3課に異動したことにより担当する顧客数が大幅に増えたため、帰宅後、自宅で訪問計画を立てるために利用する目的で、営業日誌の写しを取ったことが認められ〔中略〕、原告には、第三者に対して開示する意思があったものとは認め難いばかりか、写しを取って自宅に持ち帰ることにより、外部に流出する危険が増したとはいえ、第三者に開示したと同等の危険にさらしたとまでは認められないから、未だ「洩らし」たとまでは認めることはできないといわざるを得ない。このことは、同旨の規定である従業員服務規程6条、23条1項16号の解釈としても同様である。〔中略〕
被告は、東京本店営業部第3課時代の自宅から、新潟県央支店への異動時に、営業日誌の写しをあえて持参したことが別個の意思に基づく漏えい行為であると主張するが、この点を別個に評価するのは相当でない。
  被告は、本件配転後は新たな意思に基づいて保管を開始したと主張するもののようであるが、原告としては、新潟県央支店へは異議を留めた上で赴任しており、本件配転の効力を争い、その無効が確認されたならば東京本店営業部第3課において勤務するという意思を有していたのであるから、保管に係る原告の意思が本件配転の前後で変化したものとは認め難く、被告の主張は採用することができない。〔中略〕
なお、本件写しが就業規則87条3号、36条の「機密」、従業員服務規程6条、23条1項16号の「秘密」には当たるが、その他には当たらないと解すべきことは上記のとおりであるから、ここでは本件写しを弁護士にファックス送信した行為及びこれを都労委に提出した行為が「機密」を「洩らし」又は「洩らそうとし」たといえるか、「秘密」を「洩らし」又は「漏洩」したといえるか否かを判断することになる。
  まず、弁護士にファックス送信した行為であるが、これは、証拠(甲15、原告本人尋問の結果〔中略〕)によれば、b証言を弾劾するため、内示当日の営業日誌を弁護士に示すためにファックス送信したものであることが認められ、都労委において本件配転の効力を争っている原告にとってその目的が一応正当性を有していること、弁護士は弁護士法上守秘義務を負っており(23条)、弁護士を介して外部に流出する可能性は極めて低いことを考慮すると、これをもって漏えいに当たるとすることはできないというべきである。
  次に、これを都労委の審問期日に提出した行為であるが、本件写しの証拠提出が撤回されたことは上記のとおり争いがなく、証拠〔中略〕によれば、その行為態様は、原告の代理人弁護士が本件写しを甲34号証として提出しようとして、これを都労委の担当者に手渡し、収受印が押されたが、その副本を受領した被告の代理人弁護士から指摘されて結局これを撤回したため、証拠としては提出されない扱いとなり、甲34号証は欠番とされ、原告代理人が回収した同号証は被告代理人に交付されたことが認められる。
  このように、都労委に対しては最終的に証拠提出されなかったのであるから、漏えい行為自体が存在しないというほかない。〔中略〕
少なくとも紙としての本件写しが、原告ないし原告代理人から都労委委員及び被告代理人に手渡され、都労委委員に渡された分が最終的に被告によって回収されたことは傍聴人にも見えていた可能性が高いといわざるを得ない。しかし、その記載内容までが傍聴人の目に触れるような形でやり取りが行われたとまではこれを認めるに足りる証拠はないから、そのような傍聴人に対する漏えい行為があったということもできない。〔中略〕
本件写しに記載された顧客情報が漏えいしたことにより第三者に損害を与え、ひいては被告に損害を与えた事実は一切認められないばかりか、証拠(乙1ないし4)によれば、被告は、原告の本件行為が原因で個人情報の漏えいがあったとして、金融庁長官及び日本証券業協会会長宛に事故報告書を提出しているが、その中で「流出先(又は漏えい先)が限定されていること、流出情報の速やかな完全回収を行ったことで、不正使用に繋がる可能性がなく、顧客への被害が及ばないとの判断のもと、公表は致しません。」と述べており、顧客への被害がなかったことを自認しているのであって、原告の本件行為により被告に損害が生じたものと認めることはできない。〔中略〕
 以上によれば、本件解雇の事由として被告が主張する諸事実は、いずれも就業規則に違反するものとまでは認められないから、本件解雇は解雇事由がないにもかかわらずされたものである。〔中略〕
漏えい行為の態様としてはごく軽微なものであるから、仮に就業規則36条及び従業員服務規程6条、23条1項16号に違反するとしても、解雇事由を定めた就業規則87条3号、1号には該当しないか、仮に該当するとしても、原告がこれまで懲戒処分を受けたことがなかったこと、原告の行為により顧客に実害が発生しているわけではないこと等の事情を考慮すると、本件解雇は解雇権を濫用してなされたものであって無効であると認めざるを得ない(労働基準法18条の2)。〔中略〕
被告は原告に対し、平成17年12月分の未払分として29万0003円及び平成18年1月以降毎月25日限り48万8900円の支払義務を負う。
  なお、将来分の賃金請求について、原告は終期を定めていないが、本件のように労働契約上の権利を有する地位の確認と未払賃金を併せて請求している場合には、本判決の確定により賃金の支払に関する事情も異なりうると考えられるから、判決確定後については現時点で支払を求める必要性があるとまでは認められず、判決確定時までの支払を命ずることをもって足りると解する。