全 情 報

ID番号 : 08656
事件名 : 労働者災害補償不支給決定取消請求事件
いわゆる事件名 : 佼成病院・新宿労働基準監督署長事件
争点 : うつ病に罹患し自殺した総合病院の小児科医の妻が遺族補償給付不支給の取消しを求めた事案(妻勝訴)
事案概要 : うつ病に罹患し自殺した総合病院の小児科医の妻が、うつ病は業務に起因していたとして遺族補償給付の不支給処分の取消しを求めた事案である。 東京地裁はまず業務起因性の判断について、個々の労働者が置かれた個別的・具体的状況を前提としつつ、社会通念に照らして、当該疾病当は小児科医が従事していた業務に内在又は随伴する危険が現実化したものと評価し得るか否かによって決せられるべきである、と基準を示した。 同僚医師2名の退職意思の表明により小児科医が負った課題及び同人の宿直勤務は「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針(平成11年9月14日基発544号)」でいう「ノルマが達成できなかった」「同僚ないし部下とのトラブルがあった」「勤務・拘束時間が長時間化した」といった出来事と同等の心理的負荷を与えるものというべきであり、その心理的負荷の強度は同指針でいう「Ⅱ」に該当し、小児科医が従事していた業務は、社会通念上、精神疾患を発症させる危険の高いものであったことなどから、うつ病及びそれにより引き起こされた自殺につき業務起因性を認め労基署長の行った不支給処分を取り消した。
参照法条 : 労働者災害補償保険法16条
体系項目 : 労災補償・労災保険/補償内容・保険給付/遺族補償(給付)
労災補償・労災保険/業務上・外認定/自殺
労災補償・労災保険/業務上・外認定/業務起因性
裁判年月日 : 2007年3月14日
裁判所名 : 東京地
裁判形式 : 判決
事件番号 : 平成16行(ウ)517
裁判結果 : 認容(確定)
出典 : 労働判例941号57頁
労経速報1973号45頁
審級関係 :
評釈論文 : 外井浩志・NBL857号38~45頁2007年5月15日 高橋賢司・労働法学研究会報59巻22号22~27頁2008年11月15日
判決理由 : 〔労災補償・労災保険-補償内容・保険給付-遺族補償(給付)〕
〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-自殺〕
〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-業務起因性〕
医師2名の退職意思の表明を契機として亡P1に発生した出来事が与える心理的負荷の程度につき検討すると、まず、日宿直当番の調整問題についてみると、〈1〉この問題は、平成11年2月に突如発生したもので、3月の宿直当番の実施が目前に迫っていたため、特に迅速な解決が求められるものであったこと、〈2〉宿直当番の人員不足を埋める外医の確保が、時期的な問題もあって、容易ではなかったこと〔中略〕、〈3〉他方、佼成病院当局としては、地域密着型の医療体制として機能している本件救急診療体制をできるだけ維持したいと考えており、そのため、365日・24時間の小児医療体制を希薄化させかねない宅直の拡大には消極的であったと推定されること(甲75・18頁、弁論の全趣旨)などの、当時の宿直当番の調整を巡る客観的状況に照らすと、上記問題の解決は、社会通念からみても、相当に解決困難な課題であったと評価すべきである。次に、補充医師の確保問題についてみても、小児科医の不足という事情に基づくことによる解決の困難さ(前記(1)、イ、(ア)、b)や、その確保のため多方面への働きかけをしたものの、困難を極めたという一連の過程をも併せ勘案するならば、やはり、早期に解決が求められるものであるにもかかわらず、その解決が極めて困難なものであったことは明らかである。
  してみれば、平成11年2月から3月にかけて発生した上記課題は、評価表1〔中略〕に列記された出来事に当てはめてみると、「ノルマが達成できなかった」、「同僚ないし部下とのトラブルがあった」といった出来事と同等の心理的負荷を与えるものというべきであり、それゆえ、その心理的負荷の強度は、少なくとも「Ⅱ」には達していたと認めるのが相当である。〔中略〕
宿直勤務において実際に診療を行った患者数は必ずしも多いとはいえないものの、上記のとおり、実際に6時間程度の睡眠を取り得る程度の仮眠可能時間がある日は、3月中の宿直日でも3日ほどしかなく、診療の多くは睡眠が深くなる深夜時間帯におけるものであることが認められる。そして、この事実に加えて証拠〔中略〕をも斟酌すると、佼成病院における小児科の宿直勤務においては、十分な睡眠は確保できるものではなく、少なくとも、疲労を回復し得る程度の深い睡眠を確保することは困難であったといわざるを得ない。してみると、多数回にわたり宿直当番を担当することは、それだけ当該労働者の睡眠が奪われる危険性が高まるといえる。
  加えて、別表3(No8ないし12)及び6により把握できる亡P1の平成10年9月から同11年8月までの労働時間数をみると、宿直明けの日に必ず休日(研究日も含む。)を取得することが保障されているわけではなく、これを平成11年3月から4月にかけての亡P1の勤務スケジュールでみてみると、宿直日明けに連続勤務が組まれている日が3日(3月7~8日、同月28日~29日及び同月31日~4月1日)あり、また、3月3日から4月1日までの時間外労働時間数も83時間超に至り、さらには、上記期間中に亡P1が全く勤務から解放されていた日も3月21日及び22日の2日だけしかない。このような平成11年3月の亡P1の勤務スケジュールを前提として、上記のような宿直勤務の回数(8回)の業務性質をみるならば、社会通念に照らして、当該業務は労働者の心身に対する負荷となる危険性のある業務であったと評価せざるを得ない。
  そして、上記の負荷の性質は、結局のところ、労働者の疲労回復の最も根本的な方策である睡眠を奪う危険を有するのであるから、評価表1の「勤務・拘束時間が長時間化した」にも比すべきストレス要因とみるのが相当であり、そうであれば、その心理的負荷の強度は「Ⅱ」レベルにはあるということができる。〔中略〕
P4、P3医師が退職した後の佼成病院小児科及び亡P1の勤務の各状況は前記(1)、イ、ウで整理したとおりであるが、これは評価表1の「部下が減った」及び「部下とのトラブルがあった」に該当するところ、これらはいずれも心理的負荷としては「Ⅰ」レベルではあるものの、高度の専門職である医師を束ね、かつ、補充医師の確保が極めて困難であることから個々の医師の去就につき大きな関心を抱かざるを得ない立場にある管理職が、上記のような状況に陥ることは、特に心理的負荷がかかる性質のものというべきである。よって、その心理的負荷の程度としては「Ⅰ」よりも強度であり、少なくとも「Ⅱ」と評価すべきである。
  なお、平成11年6月にはP3医師が退職を仄めかしたことに伴う医師の確保作業は、前記イと同様に心理的負荷の程度は「Ⅱ」となるものといえる。
  オ 以上によれば、亡P1が置かれた具体的状況を念頭において、社会通念に照らして業務の危険性を判断すると、平成11年2月以降に亡P1が従事した業務は、社会通念上、精神疾患を発症させる危険の高いものであったというべきである。〔中略〕
  確かに、3月時点で亡P1に生じた不眠の原因要素を探求してみると、当直当番の調整の失敗や補充医師の確保がままならない状況がこれに影響を与えた可能性は否定できず、これが亡P1の精神状態を不安定にし、不眠をもたらした可能性はある。しかし、これらの課題自体がいずれも心理的負荷の高いものであったといえることは前述のとおりであって、本件疾病の発症、増悪の原因となっていると解される以上、亡P1にこのような精神状態が生じていたことをもって、同人の個体側要因の問題(つまり、同人のストレス耐性への脆弱性を示すもの)と評価するのは相当でない。
  ウ また、〔中略〕亡P1には、従来から高脂血症・痛風といった生活習慣病が出現しているところ、P19意見及び甲86では、心身症との結びつきを軸として、これらの生活習慣病(メタボリックシンドローム)とうつ病との関連性が指摘されている。しかし、本件全証拠に照らしても、かかる生活習慣病に罹患した者がうつ病を発症しやすいとの関係を基礎付けるような専門的知見が形成されたとは認めるに足りない〔中略〕以上、この点をもって、亡P1の個体側の脆弱性を認めることはできない。〔中略〕
  ア そこで、(2)、(3)での検討結果に基づいて、本件疾病の業務起因性につき判断すると、亡P1が本件疾病罹患前に従事していた業務は精神疾患を発症させ得る程度の危険性を内在しており、他方で、亡P1の業務外の出来事で同人の心理的負荷をかけるような事情は、せいぜい「子供の入試・進学があった又は子供が受験勉強を始めた」(強度は「Ⅰ」)が想定される程度で、被告が主張する遺産相続に関連する弟との不和などの事情を認めるに足りる的確な証拠はなく、また、同人の個体側要因として問題となる性格傾向の脆弱性は、特に、本件疾病発症との関係では有力な原因になったものとは認め難い。
  してみると、本件疾病は業務に起因して発症したものと認めるのが相当である。
  イ 以上、検討したところによれば、亡P1は平成11年3月から4月遅くとも同年6月ころには、業務に起因して本件疾病に罹患し、その判断能力が制約された状況で、同疾病による自殺念慮から本件自殺に及んだものと認められるから、本件につき労災保険法12条の2の2第1項は適用されず、その業務起因性を認めることができる。