全 情 報

ID番号 : 08803
事件名 : 不当利得返還請求控訴事件
いわゆる事件名 : 三田エンジニアリング事件
争点 : 空気調和制御機器関連会社が元従業員に対し競合禁止規定違反を理由に退職金の返還を求めた事案(会社敗訴)
事案概要 :  空気調和制御機器等の計装工事、保守、販売、設計及びビル管理業等を業とする会社が、元従業員に対し、退職直後に競業他社に就職したことが就業規則の競合禁止規定に違反し、退職金不支給(返還)事由に該当するとして不当利得に基づく返還を請求した事案の控訴審である。  第一審東京地裁は、そもそも労働者には職業選択の自由が保障されており、かつて労働契約を締結した使用者との関係において、道義的にはともかく、法的には退職後いかなる職業を選択するかについて干渉されないのが原則であるから、会社の競業禁止規定に代償措置が講じられていないことを前提とすれば、従業員の職業選択の自由に対する過度な制約となり、合理性を有するとはいえず公序良俗に反し無効であるとして会社の請求を棄却した。これに対し会社が控訴。  第二審東京高裁は、本件競業禁止規定により禁止されるのは、退職後就業した競業他社において営業機密を開示、漏洩、あるいはこれを第三者のために使用するに至るような態様のものに限定されるものと解すべきであり、これを本件について見ると、機械メーカーの操作説明書に従って行う保守点検等の作業ノウハウが、その性質上営業機密に当たるとは認め難く、元従業員の転職後の会社が控訴人会社と競業関係にあったとしても競業禁止規定の禁止するところではないものというべきとして、控訴を棄却した。
参照法条 : 日本国憲法22条
民法90条
労働基準法92条
体系項目 : 就業規則(民事) /就業規則と法令との関係 /就業規則と法令との関係
労働契約(民事) /労働契約上の権利義務 /企業秘密保持
労働契約(民事) /労働契約上の権利義務 /競業避止義務
裁判年月日 : 2010年4月27日
裁判所名 : 東京高
裁判形式 : 判決
事件番号 : 平成21(ネ)6433
裁判結果 : 棄却
出典 : 労働判例1005号21頁
審級関係 : 一審/東京地平成21.11.9/平成20年(ワ)第8488号
評釈論文 :
判決理由 : 〔就業規則(民事)‐就業規則と法令との関係‐就業規則と法令との関係〕
 〔労働契約(民事)‐労働契約上の権利義務‐企業秘密保持〕
 〔労働契約(民事)‐労働契約上の権利義務‐競業避止義務〕
 第3 当裁判所の判断
 1 本件競業禁止規定の効力について
 本件競業禁止規定は、控訴人の従業員に対し、退職後1年間、控訴人の承認を得ないで控訴人と競合する事業を行うこと及び競業他社への就職をしてはならない旨を規定している。このような本件競業禁止規定は、控訴人の従業員が控訴人を退職した後、すなわち控訴人と当該従業員との雇用契約が終了し、両者間に何らの継続的な契約関係が存在しない状態になった後に、当該従業員が本来自由に行うことのできる事業の実施や第三者との雇用契約の締結を制限しようとするものであり、当該従業員の退職後の職業選択の自由に重大な制約を加えようとするものである。他方、従業員の職業選択の自由に対しこのような広範かつ重大な制約を加えるものであるにもかかわらず、本件競業禁止規定の適用を受ける従業員に対して、何らの代償措置も講じられていないことは控訴人の自認するところである。(当審において、控訴人は、退職金の支払を拒否されることなくその返還請求を受けることもないという消極的反対給付も代償措置に含まれる旨主張するに至ったが、このような消極的措置により控訴人の職業選択の自由に対する制約に基づく不利益が償われるものでないことは明らかである。)
 このような本件競業禁止規定の趣旨及び内容並びに控訴人が被控訴人の退職に際して徴求した本件誓約書においては、控訴人の営業機密の開示、漏洩、第三者のための使用を禁じる旨が記載されていることを合わせ考えると、本件競業禁止規定により禁止されるのは、従業員が退職後に行う競業する事業の実施あるいは競業他社への就職のうち、それにより控訴人の営業機密を開示、漏洩し、あるいはこれを第三者のために使用するに至るような態様のものに限定されるものと解すべきであり、かつ、このように本件競業禁止規定の趣旨を限定的に解してのみ本件競業禁止規定の有効性を認めることができるというべきである。
 これを本件について見るに、証拠(〈証拠略〉、被控訴人)及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人は昭和56年に控訴人に入社してから平成18年2月に退職するまでの間、一貫してビルの空調自動制御機器・システムの保守点検・調整、機器交換等の作業に従事してきたのであり、しかも、これらの作業は主に機械メーカーの操作説明書に従って行うものであったことが認められるのであって、これらの被控訴人が控訴人に在職していた当時の業務内容に照らすと、仮にそこに何らかのノウハウ的なものが存在するとしても、このような機械メーカーの操作説明書に従って行う保守点検等の作業ノウハウが、その性質上控訴人の営業機密に当たるとは認め難いといわざるを得ない。その他本件全証拠に照らしても、被控訴人が控訴人を退職した後競業他社に転職することにより、控訴人の営業機密を開示、漏洩し、あるいはこれを第三者のために使用することとなるとの事情は認められない。
 そうすると、被控訴人が控訴人を退職した後に転職した日本アジルが控訴人と競業関係にあるとしても、被控訴人が日本アジルに転職したことによって控訴人の営業機密を開示、漏洩し、あるいはこれを日本アジルのために使用することとなるとは認められないのであるから、被控訴人の日本アジルへの転職は本件競業禁止規定の禁止するところではないものというべきである。したがって、被控訴人の日本アジルへの転職が本件競業禁止規定に違反することを前提とする控訴人の請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
 2 よって、原判決は相当であり、本件控訴は理由がないので棄却することとし、主文のとおり判決する。〔中略〕
 主文
1 原告の請求を棄却する。
 2 訴訟費用は原告の負担とする。〔中略〕
 第3 当裁判所の判断
 1 争点(1)(被告の「悪意」者性及び競業禁止等条項の効力)について〔中略〕
 このような事実を踏まえるときは、原告会社において、技術職が大半を占める従業員について、主に日本アジルへの転職阻止、日本アジルによる敵対的営業を念頭に置き、ノウハウ等の流出、人材の流出を防止するべく、競業禁止等条項のように、従業員に対し退職後の競業避止義務を課し、これに反した場合には、退職金の功労報償的性格に照らし、退職金の不支給等の措置を講ずる必要性及び合理性も全くないわけではないといえる。
 しかしながら、日本アジル以外の競業他社に転職する場合は退職金の不支給等の措置を講じないということを原告会社が自認しているところ、そうであれば、競業禁止等条項によって原告会社が保護しようとしている「営業機密」が前記のノウハウであったとしても、その重要性は原告会社にとってもそれほど要保護性の高いものではないといわざるを得ない。また、競業禁止等条項では、期間こそ比較的短いものの、対象行為も競業他社への就職を広範に禁じており顧客奪取行為等に限定するものではないし、区域は全く限定されていない。そうであるにもかかわらず、従業員に対する代償措置はなんら講じられていないのである(代償措置が講じられていることを認めるに足りる証拠はない。)。
 そもそも、労働者には、職業選択の自由が保障されており(憲法22条)、かつて労働契約を締結した使用者との関係において、道義的にはともかく、法的には退職後にいかなる職業を選択するかについては干渉されない(不利益を課されない)のが原則であるから、原告会社の競業禁止等条項が、従業員の退職後の職業について原告会社の承認にかからしめ、承認を得るべくして従業員が告知した就業先の如何によって当該従業員の退職金の不支給、減額等の不利益を原告会社の裁量的判断で課すことになっているのは、従業員の退職後の就業先を事実上原告会社が決定することになりかねないし、原告会社の「営業機密」の要保護性が低いこと、代償措置が講じられていないことを前提とするときは、前記のとおり程度の限定の態様では、従業員の職業選択の自由に対する過度な制約ということができる。
 したがって、原告会社の競業禁止等条項は、合理性を有するとはいえず、公序良俗に反し無効(民法90条)というのが相当である。〔中略〕
 2 争点(2)(退職金相当の利得金返還請求権の成否)について
 被告は、競業禁止等条項(就業規則32条、退職金規程8条2項)は原告会社から退職者への損害賠償請求を規定しており、本件のような不当利得請求の根拠にはならないと主張するけれども、就業規則32条、退職金規程8条2項は、退職者の競業により原告会社が損害を被った場合の措置として、「退職金の不支給・減額・損害賠償として既払い分の返還請求等」と規定している(下線は当裁判所が付した。)のであり、不当利得返還請求を排除しているとまではいえないから、被告の前記主張は採用できない。
 もっとも、前記1で判断したとおり、競業禁止等条項は公序良俗に反し無効であるから、その義務違反によって退職金支給の根拠が失われることにはならないから、被告の競業禁止義務違反を検討する余地がない。
 また、原告会社の詐欺、錯誤の主張も競業禁止等条項が有効であることを前提としたものであるから、やはり前提を欠き理由がない。
 したがって、被告が原告会社の損失により「法律上の原因なく」退職金相当額の利得をしたということはできない。
 3 結語
 以上の次第であり、原告の本訴請求は、その余の点(周知性、不利益変更、権利濫用)について判断するまでもなく理由がないから棄却することとする。