全 情 報

ID番号 09307
事件名 不支給処分取消請求事件
いわゆる事件名 国・高知労基署長(うつ病発症)事件
争点 賃金の多寡による心理的負荷
事案概要 (1) 本件は、cd情報センターで生活支援員兼コーディネーターとして勤務していた原告が、勤務前に一旦提示されていた賃金額を、勤務開始直前になって、何らの説明も正当な理由もなく、一方的に下げられ(月給19万6900円から月給14万0400円へ引下げ)、同僚と比して低額な賃金で働かされ続けたという大きな心理的負荷に、数々の業務上の心理的負荷が加わり、中等症うつ病エピソード(以下「本件疾病」という。)を発症したとして、処分行政庁(高知労働基準監督署長)に対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく休業補償給付等の支給を求めたところ、処分行政庁が、休業補償給付、療養補償給付の支給を行わない旨の処分をそれぞれ行ったため(「本件各処分」という。)、原告が、被告に対し、本件各処分の取消しを求める事案である。
(2) 判決は、原告の請求を認容し、処分行政庁の各不支給処分を取り消した。
参照法条 労災保険法
体系項目 労災補償・労災保険/業務上・外認定/(12) 精神障害
裁判年月日 平成31年4月12日
裁判所名 高知地
裁判形式 判決
事件番号 平成28年(行ウ)5号
裁判結果 認容
出典 D1-Law.com判例体系
審級関係
評釈論文
判決理由 〔労災補償・労災保険/業務上・外認定/(12) 自殺〕
(1)平成23年12月26日基発1226第1号「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(以下「認定基準」という。)は、その作成経緯及び内容に照らすと合理性が認められるので、これを踏まえて判断すべきである。もっとも、認定基準は行政内部の基準であり、画一的なものであることが性質上予定されているから、裁判所を拘束するものではない。したがって、業務起因性を判断するにあたっては、単に認定基準に依拠するのみならず、事案に応じて、個別具体的かつ総合的な見地から検討を行うのが相当である。
(2)労務の提供には必ず心理的負荷が伴うものであることに鑑みると、基本的には、賃金の多寡そのものが、労働者の従事する業務自体に内在する危険であると捉えることは相当でないように思われる。労働者の望む賃金水準でなかった場合に常に危険が発生していることになりかねないが、これを労働災害とするのは、労働災害補償の制度趣旨に沿うものとはいえないと解される。
(3)認定基準では、配置転換、転勤、自分の昇格・昇進は端的に項目化され対象とされている。賃金の多寡そのものは項目にはないが、同僚との相対的な待遇という観点から、非正規社員であるとの理由等により、仕事上の差別、不利益取扱いを受けたこと、同僚等の昇進・昇格があり、昇進で先を越されたことが項目に挙がっている。このように、専門家の検討を踏まえた平成11年報告書や認定基準においても、賃金の多寡が、労働者の精神の健康に影響を及ぼす心理的負荷となること自体は否定されていないと考えられる。常識的にも、賃金の多寡は、労働者の生活に直結するものであり、仕事に対する意欲を大きく左右し、職業人としての自尊心の根幹をなす場合があるなど、心理的な影響には大きな面があることは明らかである。とりわけ、同僚や同業種の他者との相対的な位置づけが心理面に特に響くことは容易に想像できる。
(4)労働災害補償を検討する際にも、契約上想定されていた以上に労務上の負担を強いられた場合において、特に、不相当に低い賃金で抑えられている場合には、これによる心理的な影響を全く考慮せず、一切無視するというのは不公平であると考えられる。加えて、同僚との関係において、不当に差別的な待遇がある場合に、これを評価対象とすべきということが、平成11年報告書及び認定基準において看取できるところであり、差別的な待遇の中から賃金格差を排除する理由はないから、著しく不合理な賃金格差がある場合には心理的な負荷として考慮する余地があるというべきである。
(5)したがって、賃金の多寡については、それ自体を単体として業務に内在する危険として捉えるのが難しいとしても、契約締結に至る過程や、契約上の労務内容、実際の労務内容、同僚との相対的な関係等を総合的に考慮して、他の要因に影響を与える要素として斟酌するのが適切か否かという観点から検討し、これが是認できる場合には、全体的な心理的負荷の判断要素として勘案しうると解するのが相当である。
(6)賃金が変更されるに至ったという出来事は、変更自体は発病の6か月よりも前に生じた出来事であるものの、変更後の賃金額での支給が継続している以上、その心理的負荷の程度の評価の対象とするのが相当である。
(7)原告には、平成23年4月に情報センターへ移って以降、手話通訳士としての専門業務から対外的な交渉を要する多岐にわたる事務作業へと職務内容が変更して、同時並行的に処理する必要から業務が質量ともに増加し、かつ、専門職とはいえ負荷のかかる手話通訳の業務を随時に求められるなど、業務の質、量及びその変化に伴う心理的負荷は比較的大きなものがあったところ、本来協力関係になければ円滑に事業が進められない関係にある更生センターと協会の関係が当初より良好でなく、それが改善する方向に進まない状況で、上司や同僚の支援を受けられない中で孤立して奮闘せざるを得なかったと認められるところ、もともと、原告の内心では騙されたに近い形で減額された賃金で働かされ続けたという事情があり、しかも、同僚と合理的に納得できない格差をつけられたという思いが継続していたというのであるから、全体として見れば強い心理的負荷が加わったと認められるというべきである。