全 情 報

ID番号 09570
事件名 未払賃金請求事件
いわゆる事件名 社会福祉法人恩賜財団済生会事件
争点 格差是正を目的とした就業規則変更の有効性
事案概要 (1)被告設置の病院(以下「本件病院」という。)に勤務している原告ら(9名)に支給される賃金は、令和2年10月1日に就業規則及び給与規程(従来の扶養手当及び住宅手当)が変更されたことにより賃金が減少したところ(これが就業規則の変更による労働条件の不利益変更に当たることは当事者間に争いがない。)、本件は、原告らが、〈1〉主位的には、上記就業規則等の変更は専ら人件費の削減を目的とするものであることを秘してされたため合理性がなく、〈2〉予備的には(仮に専ら人件費削減の目的であるとはいえないとしても)、労働契約法10条所定の諸事情に照らして合理性を有するとはいえず、いずれにせよ、同条により有効であるとはいえないから、上記変更は同法9条本文により無効であると主張して、被告に対し、変更前の給与規程に従って算出した令和2年10月支給分から同年12月支給分までの手当額と既支給額との各差額等の支払を求める事案である。
(2)判決は、就業規則の変更は合理的なものであると認められるとして、原告の請求を棄却した。
参照法条 労働契約法9条
労働契約法10条
短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律8条
体系項目 就業規則 (民事)/ 就業規則の一方的不利益変更/ (3) 賃金・賞与
裁判年月日 令和5年5月24日
裁判所名 山口地裁
裁判形式 判決
事件番号 令和3年(ワ)6号
裁判結果 棄却
出典 判例時報2600号74頁
労働判例1293号5頁
労働経済判例速報2522号15頁
審級関係 控訴
評釈論文 本久洋一・労働法律旬報2043号31~32頁2023年11月10日
大浦綾子・労働判例1297号170~171頁2024年1月1日
金井幸子・季刊労働法284号36~44頁2024年3月
鈴木蔵人・経営法曹220号66~73頁2024年6月
有泉明(東京大学労働法研究会)・ジュリスト1602号146~149頁2024年10月
判決理由 〔就業規則 (民事)/ 就業規則の一方的不利益変更/ (3) 賃金・賞与〕
(1)本件病院の収支は黒字の状態が続いているものの、人件費総額が増加傾向にあり、新病院の建築時に予想される診療(医療事業)収入の減少等を踏まえ、人件費比率が更に増加しないようにすべきであるとされ、本件旧規定の変更に当たり、人件費総額が増加しないよう手当の具体的な内容を検討しているとおり、本件病院には人件費の増加を抑制する意図があったことが認められる。しかし、人件費増加の抑制と削減とは異なるものである上、非正規職員に係る手当の新設と人件費総額の増加抑制(人件費総額の維持)を両立させて実現するための手段の一環として、正規職員に係る人件費が非正規職員に係る新設手当の原資にも充てられたにすぎないというべきであるから、本件変更が専ら人件費削減を目的としてされたとは認められない。
 そうすると、本件変更が専ら人件費削減を目的としてされたとは認められないから、本件変更の目的のみを理由に本件変更の合理性を否定することはできず、原告らの主位的主張には理由がない。
(2)本件病院は、新病院の建築を控えて経営状況は右肩下がりである一方、費用総額に占める人件費比率は右肩上がりであり、本件病院が非営利法人経営の病院であることや、新病院の建築時に予想される診療(医療事業)収入の減少、医療サービスの提供に伴う費用(材料費等)の高騰傾向(書証略)等も踏まえると、本件病院の今後の長期的な経営の観点から、本件変更時点での人件費増加抑制に配慮しつつ、持続可能な範囲での手当の組換えを検討する必要性もあったというべきである。
(3)本件病院において、扶養手当が従来想定していたのとは異なって、家族像が多様化する中、男性職員にしか支給されていない配偶者手当等を再構築して、子どもを被扶養者とする手当や扶養の有無にかかわらず保育児童について支給される手当を拡充・新設することは、本件病院の職員の多数を占める女性の就労促進という目的に沿うもので、同目的との関連性が認められる上、その内容自体も本件病院の実態に即した相当なものといえる
(4)持ち家に対する住宅手当は、もともと、畳の張替え等の自宅維持管理費(修繕費)に係る補助であったと考えられるところ、国家公務員については同手当の存在意義がもはや薄れたとして支給が廃止され、地方公務員についても約90%の地方公共団体において廃止されており、当該手当については、本件病院においても、同様に存在意義が薄れているか、その支給目的につき納得性や明確性がないものと理解され、これを廃止する変更を行うことは、手当の支給目的を納得性のある形で明確化するという本件変更の目的に沿うもので、同目的との関連性が認められる上、廃止する合理性・相当性も同様に認められる。
 また、賃貸物件に対する住宅手当については、持ち家と異なり職員らが毎月支払うべき家賃に係る補助であると考えられるところ、年功序列制度を採用する本件病院において、若年層の職員らの家賃支払の負担はそれなりに大きいといえるから、当該手当の支給上限額の増額等により若年層の確保を目指すことは、手当の支給目的を納得性のある形で明確化するという本件変更の目的に沿うもので、同目的との関連性が認められる。そして、その内容自体も、給料の低い時期に支給額が多くなるよう設計され、また、平成26年11月分における医療・福祉関係の企業における平均支給額(1万5727円)も参照して手当の支給下限額が設定されるなど、合理的で相当といえる。
 なお、住宅補助手当については通勤距離制限が新設されたが、不遡及適用とされており、本件変更後の新規採用者や転居者等に対し、緊急時等に速やかな出勤が可能な範囲での住居確保を推奨することも、本件病院の性質を踏まえれば、合理的かつ相当な制度設計といえる。
 加えて、本件変更後1年から2年間の激変緩和措置が執られたことも、本件変更により不利益を被った職員らの生活への急激な影響を一定程度緩和するものであり、本件変更の相当性を支える一事情である。
(5)以上を総合すれば、本件病院においては、パートタイム・有期雇用労働法の趣旨に従い、非正規職員への手当の拡充を行うに際し、正規職員と非正規職員との間に格差を設けることの合理的説明が可能か否かの検討を迫られる中で、女性の就労促進及び若年層の確保という重要な課題を抱える本件病院の長期的な経営の観点から、人件費の増加抑制にも配慮しつつ手当の組換えを検討する高度の必要性があったところ(なお、原告らの月額賃金あるいは年収の減額率は高くても数%程度(5%を下回るもの)にとどまるから、就業規則の変更を行わないと使用者の事業が存続することができないというような極めて高度の必要性までは要しない。)、本件変更により正規職員らが被る不利益の程度を低く抑えるべく検討・実施され、また、その検討過程において、労働組合の意見が一部参考にされるなど、本件変更への理解を求めて一定の協議ないし交渉が行われたということができる。なお、手当の支給目的を設定する段階からの見直しであるため、制度が根本的に変わる以上、支給条件が大幅に変更となることもやむを得ず、将来、支給条件を満たす職員が増える可能性もあることや、本件変更直前のシミュレーションによっても、(廃止された持ち家に係る住宅手当分も含め)月額わずか約20万円の減少見込みにとどまったことを踏まえれば、本件変更時点での支給総額をより高額に、あるいは、本件変更による支給減額分をより低額にしなければならなかったものとまではいえず、上記の手当支給目的との関係において、本件旧規定と比較して、本件新規定に係る制度設計を選択する合理性・相当性が肯認されるというべきである。
 以上によれば、本件変更は合理的なものであると認められる。