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ID番号 : 90002
事件名 : 損害賠償請求事件
いわゆる事件名 : 下関商教諭退職勧奨損害賠償請求事件
争点 : 長期に渡る執拗な退職勧奨の違法性が争われた事案
事案概要 : (1) Y市立高校の教員X1は県教育委員会が定めた退職勧奨年齢57歳に達した昭和40年度末から、また、X2は同41年度末から、それぞれ毎年、学校長等から2~3回にわたり退職を勧奨されたがこれに応じなかったところ、昭和44年度末には、勧奨に応じない旨を表明しているにもかかわらず、計10回以上、職務命令として市教委への出頭を命じられたり、1乃至4人から20~90分にわたって勧奨されたり、優遇措置もないまま退職するまで勧奨を続けると言われたり、勧奨に応じない限り所属組合の要求にも応じない態度を取ったり、異例の年度を跨いで勧奨されたなど、執拗に退職を勧奨され、不当に退職を強要されたとして、損害賠償を求めた事案。
(2) 山口地裁下関支部は、本件退職勧奨は、被勧奨者の自発的な退職意思の形成を慫慂する限度を越え、心理的圧力を加えて退職を強要したものであるまどとして、X1には金4万円、X2には金5万円とそれぞれの遅延利息の支払いを命じたところ、広島高裁もこれを支持し、最高裁も追認した(反対意見があった)。
参照法条 : 国家賠償法1条
労働契約法
労働基準法
体系項目 : 退職 /退職勧奨
裁判年月日 : 1980年7月10日
裁判所名 : 最高一小
裁判形式 : 判決
事件番号 : 昭和52年(オ)405号
裁判結果 : 上告棄却
出典 : 最高裁判所裁判集民事130号131頁/判例タイムズ434号172頁/労働判例345号20頁/労働経済判例速報1054号4頁/裁判所ウェブサイト掲載判例
審級関係 : <第一審>昭和49年9月28日/山口地方裁判所下関支部/判決/昭和45年(ワ)264号 ID:3539<第二審>昭和52年1月24日/広島高裁/判決)
評釈論文 : 石津広司・最高裁労働判例〔4〕――問題点とその解説400~414頁1983年11月/広岡隆・公務員判例百選〔別冊ジュリスト88〕34~35頁1986年4月/山田耕造・労働判例百選<第6版>〔別冊ジュリスト134〕146~147頁1995年5月/小俣勝治・労働判例百選<第7版>〔別冊ジュリスト165〕164~165頁2002年11月/柳澤武・労働判例百選<第8版>〔別冊ジュリスト197〕152~153頁2009年10月
判決理由 : 〔退職‐退職勧奨〕
 所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、是認しえないものではなく、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立つて原判決の不当をいうものにすぎず、採用することができない。

【参考:昭和49年9月28日 山口地裁下関支部 判決】
〔退職―退職勧奨〕
 (前略)退職勧奨はその性質上任命権者(使用者)において自由になし得るものであり、反面被用者は理由のいかんを問わず、勧奨を受けることを拒否し、あるいは勧奨による退職に応じないことができるのであつて、勧奨の回数、期間、勧奨者の数等により形式的にその限界を画することはできない。そして、被勧奨者が退職しない旨を明言したとしても、そのことによつて、その後は一切の勧奨行為が許されなくなるとも断じ難い。  
 しかしながら、退職勧奨は往往にして職務上の関係に羈束されたなかで、その上下関係を利用してなされるものであり、被用者が前記のような自由を有するからといつて、無限定に勧奨をなしうるものとすることは、不当な強要にわたる勧奨を許し、実質的な定年制の実現を認める結果となるであろうことは容易に推測しうるところであり、そこに何らかの限界をもうける必要があるものといわねばならない。  
 そこで、進んでこの点について検討を加えると、そもそも退職勧奨のために出頭を命ずるなどの職務命令を発することは許されないのであつて、仮にそのような職務命令がなされても、被用者においてこれに従う義務がないことは前述のとおりであるが、職務上の上下関係が継続するなかでなされる職務命令は、それがたとえ違法であつたとしても、被用者としてはこれを拒否することは事実上困難であり、特にこのような職務命令が繰り返しなされる時には、被用者に不当な圧迫を加えるおそれがあることを考慮すると、かかる職務命令を発すること自体、職務関係を利用した不当な退職勧奨として違法性を帯びるものと言うべきである。そして、被勧奨者が退職しない旨言明した場合であつても、その後の勧奨がすべて違法となるものではないけれども、被勧奨者の意思が確定しているにもかかわらずさらに勧奨を継続することは、不当に被勧奨者の決意の変更を強要するおそれがあり、特に被勧奨者が二義を許さぬ程にはつきりと退職する意思のないことを表明した場合には、新たな退職条件を呈示するなどの特段の事情でもない限り、一旦勧奨を中断して時期をあらためるべきであろう。  
 また、勧奨の回数および期間についての限界は、退職を求める事情等の説明および優遇措置等の退職条件の交渉などの経過によつて千差万別であり、一概には言い難いけれども、要するに右の説明や交渉に通常必要な限度に留められるべきであり、ことさらに多数回あるいは長期にわたり勧奨が行なわれることは、正常な交渉が積み重ねられているのでない限り、いたずらに被勧奨者の不安感を増し、不当に退職を強要する結果となる可能性が強く、違法性の判断の重要な要素と考えられる。さらに退職勧奨は、被勧奨者の家庭の状況等私事にわたることが多く、被勧奨者の名誉感情を害することのないよう十分な配慮がなされるべきであり、被勧奨者に精神的苦痛を与えるなど自由な意思決定を妨げるような言動が許されないことは言うまでもないことである。このほか、前述のように被勧奨者が希望する立会人を認めたか否か、勧奨者の数、優遇措置の有無等を総合的に勘案し、全体として被勧奨者の自由な意思決定が妨げられる状況であつたか否かが、その勧奨行為の適法、違法を評価する基準になるものと考えられる。
 (中略)本件の退職勧奨について考えるに、原告らは第一回の勧奨(二月二六日)以来一貫して勧奨に応じないことを表明しており、特に市教委における最初の勧奨(三月一二日)は、X1に対して一時間五〇分、X2に対しては二時間一五分にも及んでおり、市教委の退職を求める理由はこの機会において十分説明されたものと考えられるところ、これに対しXらは退職する意思のないことを理由を示して明確に表明しており、特にXらについてはすでに優遇措置も打切られていたのであるから、それ以上交渉を続ける余地はなかつたものというべきである。しかるにYらはその後もX1については五月二七日までの間に一〇回、X2については七月一四日までに一二回、それぞれ市教委に出頭を命じ、Yほか六人の勧奨担当者が一人ないし四人で、一回につき短いときでも二〇分、長いときには一時間半にも及ぶ勧奨を繰り返したもので、明らかに退職勧奨として許容される限界を越えているものというべきである。  
 また本件以前には例年年度内(三月三一日まで)で勧奨は打切られていたが、本件の場合は四月一日以降も引続いて勧奨が行なわれ、加えてYらは、Xらに対しても、「組合」役員に対しても、Xらが退職するまでは勧奨を続ける旨の発言を繰り返し述べており、このことによつて、Xらに際限なく勧奨か続くのではないかとの不安感を与え、心理的圧迫を加えたものであり、許されないものといわなければならない。なお本件退職勧奨は市教委の決定によるものであることは前記のとおりであるが、右決定は昭和四四年度末人事に関するものであり、特段の指示がない限り、Yらは新年度に引続いて勧奨する権限をもたなかつたものと解すべきところ、〈証拠〉によれば、同被告はYに対し、年度を越えて勧奨してもよいともいけないとも言つていないというのであり、本件について年度を越えてなされた勧奨はYの独断的行為というべきである。  
 さらに、Yらは、Xらの要求する代理人の立会いも認めず、右のような長期間に亘る勧奨を続け、電算機の講習期間も原告らの要請を無視して呼び出すなど、終始高圧的な態度をとり続け、当時「組合]が要求していた欠員補充や宿直廃止についても、何ら関係がないのに、退職問題の解決、即ち原告らの退職がない限り、右の要求を受け付けない態度を示し、Xらに対し二者択一を迫るがごとき心理圧迫を加えたものであり、またXらに対するレポート、研究物の提出命令も、真にその必要性があつたものかどうかは甚だ疑問であり、いずれも不当といわねばならない。  
 またX2の市教委への配転についても、先に訴外Aに対し勧奨が奏効しない段階で市教委勤務を内示したところ、Aがこれを嫌い結局退職を約束したという前例があること、X2に配転を示唆した時期が不自然であるうえに、五月二九日の電話の時と六月九日に市教委で説明した時とでは勤務内容も相異していること、配転が実現した場合には直接の上司となるB室長が当時右配転計画を知らなかつたこと、X2に対しては、右のように配転を示唆しながらも他方では退職を勧奨し続けたこと、および下商校長等の反対もあり配転は実現するに至らなかつたことなどの事情を総合すると、この配転は市教委にとつて必要はなく、もつばら退職を実現するための手段として提起されたものであるとの疑いを拭い去ることができない。  
 以上の諸点に前述の本件退職勧奨の際にされたYらの発言内容を総合すると、本件退職勧奨は、その本来の目的である被勧奨者の自発的な退職意思の形成を慫慂する限度を越え、心理的圧力を加えて退職を強要したものと認めるのが相当である。Yらは市教委にとつて本件退職勧奨は必要かつやむを得ないものであつたと強調するが、いかに必要であつたとしても任意退職を求めるものである以上、強要にわたる行為が許されないことは言うまでもないところであり、右の必要性についても、下商の教員の平均年令が県立高校のそれよりも若干高いことや一般的に新陳代謝をはかる必要性があつた旨主張するのみであつて、Xらが在職することによる具体的な教育上の影響などについては何ら示されておらず、それを窺わせるに足る資料もなく、むしろYらの発言からは実質的な定年制を意図しているのではないかとさえ推測され、Yらの主張は採用しがたい。
 (中略)本件退職勧奨は、Xらの任命権者である市教委の決定に基づき、下関市の公務員であるYらにおいてなされたものであるが、前述のように退職勧奨は任命権者の人事権に基づく行為であり、下関市の公権力の行使であるというべきである。そしてYらは自己の職務行為としてXらに退職を勧奨するに当り、その限度を越えXらに義務なきことを強要したものであり、これは少なくとも過失によるものと認められるから、Yらに対し国家賠償法第一条第一項により、右のごとき違法な退職勧奨によつてXらが受けた損害を賠償すべき義務がある。
 (中略)本件はYらの職務行為の違法を理由とする国家賠償の請求であるところ、かかる場合は国または公共団体が賠償の責に任ずるのであつて、当該公務員がその行政機関としての地位においても、個人としても直接に被害者に対し損害賠償義務を負担するものではないと解するのが相当であるから、Yらに対する本件請求はその余の点について判断するまでもなく理由がない。
 (中略)Xらが本件退職勧奨により受けた損害およびその額について検討するに、X1に対する三月一四日以降の、X2に対する同月一三日以降の退職勧奨の回数、その態様、勧奨時のYらの発言、勧奨に関連してなされたレポート、研究物の要求、宿直廃止問題、X2に対する夜間の電話、配転問題など、ここまで認定してきたところの事情をすべて総合して考えると、Xらが本件退職勧奨により、受忍の限度を越えて名誉感情を傷つけられ、あるいは家庭生活をみだされるなど相当の精神的若痛を受けたことは容易に推測し得るところであり、また〈証拠〉によつてもこのことは十分認定しうるのであつて、このようなXらの精神的苦痛は相応の金員をもつて慰謝されて然るべきである。そこでその額について考えるに、本件以前にX1は四年間、X2は三年間勧奨を続けられていたこと、本件勧奨によつてもXらは退職するに至らず、X1は翌年まで、X2はその後三年間下商に勤務していたこと、および本件勧奨時に「組合」役員らが常時別室で待機し、Xらを励ましていたことなどの事情を斡酌すると、X1については金四万円、X2については金五万円をもつて相当と考える。